文殊山善永寺 本堂と法寶蔵 

昨日朝の気温は17℃。

本堂内はもう少し暖かく感じました。

寒冷地の方々から言わせればお笑い種でしょうが、数日前まで23℃などの暖気を満喫していた我ら遠州人にとってイキナリその差を味わうのは余りにも過酷です。

午前の法要用に奥方が大型の石油ストーブを引っ張り出し、ありったけの灯油を注入してスタンバイしていると、法要に参集された方が早速に点火、みなさんそのストーブを取り囲んでいる図がありました。

前夜から強風に見舞われた当地でしたが朝になるとうまいことその風がやんでいたことはラッキーでした。

 

扨、昨日は相良史跡調査会のミーティングが拙寺本堂でありました。

相良田沼ネタとは別に26日の民放BSで放映されるという本能寺がらみの番組について話題があがりました。

各説ある本能寺の件、まさに混沌。

もっともっと決定的な史料が出てこない限り、今有力といわれている説も「推測の域」を出ませんからね。

 

本能寺での信長に鉄槌を下ろしたのは明智光秀というところは間違いないところですが、知りたいところといえばその理由やそれに及ぶに彼が結論を出したその後ろ盾の有無。

勿論そちらでは私の持論、本願寺説を展開したのでした。

まぁ人が物事をやらかす原因というものは、何も一つ二つの理由であるとは限りませんから「コレです」ではなく「それも一つの理」というレベルです。

 

両本願寺の収蔵庫の膨大な史料・文書類あるいは当時の関係者の家系に伝わるそれらが発見されるのを待ちたいといったところです。

人によっては古文書をゴミとして処分する例を聞いていますので貴重な史料が消滅する前に・・・

 

画像は大坂本願寺にて信長と戦っていた土岐氏一統の寺、善永寺の境内。

本堂に並び「法寶蔵」なる建物がありました。拙寺で言う土蔵なのでしょうが、立派です。

こういった確りした建屋に収蔵された史料は比較的保存状態が良いでしょうから、面白そうなものが「きっとある・・・」などと勝手な想像力を働かせるのでした。