大山崎離宮八幡 東門から

聞けば息子の昨日の法務は東京府中の霊園での墓前法要だったそう。

いくらご指名で「今井センセー」の如く持ち上げられても私には無理。

浜松から当地を経由、大和市の祖母の家に前乗りして府中、そして法務終了後も一旦祖母宅に寄って着替えをしてから東名綾瀬から浜松へ。

 

以前も記しましたがその着替えのために遠回りしてから帰宅というのが私には解せません。

適当な空き地、公園でもSAでもどこでも着替えなどできるのに・・・。変なところにこだわりを持つ男。私の父に似ているかも。

 

何より驚かされたのは「首都圏ではフツーだよ」と言われる墓前法要の件。

炎天下ですからね。その法要は坊さんだけでなく施主家族にも過酷なはず。豪雨でもあればどうなるんだろう・・・と単純に考えてしまいます。

 

首都圏では自宅、菩提寺、墓の距離が離れていることが多く、結局は「墓前一本で済ます」ことがベストなカタチと考えるのでしょうね。現状拙寺では本堂での本法要が主とはなりますがその全部を廻る事もありますからね。

 

「汗だくになった」とは言っていましたが「よくもまぁ」です。「交通費、ガス代」を考えてしまいますが、おそらくこれまで彼が言われたこともなかった「センセー」敬称がお気に入りの様。

私などそれを言われたらどうもおちょくられているようにしか感じませんがね。

 

以前はよく「センセーじゃねぇよ~」とか最近では「和尚じゃねぇよ~」(時に「方丈~」)などと親しき人には「反論」しています。

ちなみにその呼称としては私の希望としては「住職」ですし、昔ながらの「ごじゅっつぁん」が心地よき呼ばれ方でした。

 

その「センセー」と言えばどうも中央に暗躍する裏金ギインさんや詐欺罪でガサ入れを受けたあのエッフェル塔おばさんの顔がオーバーラップしてきてしまいます。やだやだ・・・

 

また奥方は最近80歳も余裕で過ぎているだろう石材屋の「おばさん」に境内で会釈した際「お寺のおばさん?」と言われたこと。

それが余程癪に障ったのか「お寺のおばさんじゃねぇよ~」と私にぶつくさ。「なんだって年長のおばあさんにおばさんと言われるんだ~」が怒りの根源の様でした。

 

扨、本日も大山崎離宮八幡。

「離宮」の呼称は嵯峨天皇の離宮(河陽宮)からといいますが、男山の石清水八幡宮との間で「どっちが先か、大元か」の論争もあって石清水八幡の主張としてはその分社(離宮)を主張したそう。

よって境内には石清水八幡の名が記された灯ろうも目立ちますが。天王山の酒解神社の掲示板にも離宮八幡の件、記されていましたね。

 

八幡宮の高麗門の別名のある惣門は昨日記しましたが東門と呼ばれる小振りの門がその名の通り東向きにあります。

双方とも蛤御門(禁門)の変にて長州藩士が天王山に籠ったために周辺が火に包まれますがその際、この二つの門は焼失を免れています。

 

正門が南向き、鳥居が南向きという大概の神社の有様は「天子南面す」の思想。

まぁ場合によっては神社に限りませんが「南向き」は日本の建築ではよく見られる図。

尚、私どもが大谷祖廟お参りの際、その手前にある八坂神社の脇を上がりますがその正門は南に向いています。

どうしても四条通突き当りの大きな門をそれと思いがちですがね。 

 

拙寺本堂は東向きで阿弥陀さんの西方からのおでましを意識する造りです。