城砦の根古屋を思う徳山寺周辺

昨日昼食時に尾張清洲でお寺が延焼中との報を知りました。

スマホのニュースでしたが、気がかりなことでした。

その手の事案は特に日頃から気に掛けているところですが、以後気分は最悪。

時間が経つにつれて「一人搬送」→「一人死亡」と変化し、「四棟延焼、出火はお寺から・・・」などの追加情報が。

色々なサイトを見回す私がありました。

 

その各レポートに対して某サイトのコメントに「御冥福をお祈りします」などとありました。

「いよいよ嫌だな~」と思いました。「私のその時」にその語が投げ掛けられたら・・・もそうです。

親身を思う丁寧な温情を思わす語になっている言葉で、それに文句はあまり言いにくいことですが、逆に真宗系ガチの者にとってはその語は嫌悪にも価するものですからね。

 

何故なら真宗(浄土系の宗旨もしかり)には亡くなって「冥途」には行かないからです。

よって「冥途の幸福」・・・「冥福」など祈られたとしたら却ってムカッ腹が立つ・・・といったところ。

冥途については以前もどちらかで記したかと思いますが「冥王星」のイメージが近い。

そんな遠くて暗くて寒そうで空気も吸えそうもない場所に「福があるかよ・・・」でした。

 

しかし弔辞、弔電を聞いているとそこここにその語彙を入れています。悪気はなくともお気軽すぎ。
その「冥途」の語の使用はあくまでも当人限定の謙遜であり、他者が亡き人に言うことではない・・・
そう思います。

まぁ、私の時にもし、そんな弔電が届いたとしたらカットするよう伝えておきます。カチンと来て起き上がりたくなるくらい。

行く場所がお浄土に決まっているのが浄土真宗ですからね。

 

扨、昨日の徳山寺

あの時は本堂でたまたま寄合があったようで、境内をうろついているとご門徒さんから「住職がいらっしゃいますからどうぞ~」と声を掛けられ靴を脱ぎました。

よって堂内にて自己紹介をさらっと。

昨日の案内書を戴いて堂内の撮影。②の柱に掛けられた画は珍しきものです。

ついつい調子にのって正信偈でも・・・と閃きましたがそれはご住職の仕事ですので控えることにしました。

以前幸田の明善寺でお勤めしたことを思いだしましたが・・・。

 

この徳本寺のある地形は城塞に付属した寺を思わす雰囲気。

西に向かって谷がありその前面に外堀の巴川。東側背後には高地を控えています。

やはり伝承ではこの山に城塞があったとのこと。

豊田市に問い合わせて確認したわけではありませんが、本堂の石垣や境内奥の建物のベースとしている石積にその雰囲気を。

何時の造作かは不詳ですが。

 

この山は時間が許せば遺構探索をしたいところでしたが・・・⑩はお寺の駐車場から⑪は東側からの図。⑫はマップより。山は現状新東名高速が貫いています。

 

因みに昨日は啓蟄。

それを過ぎると藪の中=マダニ。これからが一番ヤバイ時間で

以後自重に限ります。

というか現在どちらにも行こうという気がおこらなくなりました。

 

⑤⑥は墓域ですが、その「中根」さんに親しみを感じました。

聖徳寺の中根でしたが(箱柳城)そちらに当家三代祐傳の母、成瀬正義の妻、勒さんの出所を推測しています。

 

その寺もそうでしたが城と寺の近接と根古屋の存在を思ったところです。

そして三河の「ガチ真宗門徒」の歴史も。