設楽原善光塚の標と古仏たち 設楽氏関連か

 

昨日も本堂での法要。寒さは少々緩んだようですが一昨日同様にストーブ×2+火鉢で対応しました。

12月に入ったらパワーが期待できる大型ストーブで対応しますが、灯油の消費量が半端ありませんので辛いところです。

灯油の値段よりもそれを購入に走り、補充するという手間が面倒ですね。

 

そしてお斎にご招待されてご馳走三昧。おしゃべり&食欲を満たして帰宅しました。

前夜の強風によって捲りあがったハイビスカス用シートの修正を行って昼寝という贅沢な時間をすごしました。

横浜の「奥の墓道」氏は月に7回はラーメンを食べ歩くそうですが私はその件、「塩分取りすぎ」につき「ヤメロ!!」と偉そうに指摘しています。息子も彼のラーメン談義に傾倒してかなりの頻度で食しているよう。

たたせし何の事はない私もハイカロリー満腹の様。

裏を返せばハッピー、平和で有難いことですがね。

食べすぎと趣味の味くらべで「体に悪い」を指摘しあっているのですから。喰って喰って喰いまくって飽食、そして病を得て死する・・・

地球上にはミサイルや爆弾が雨のように撃ち込まれ、まともな水も食料も、薬も治療もなく死にゆく人たちが数多いるというのに暢気なものです。

 

最後の画像は彼が行った店の近くのラーメン屋。2時間待ちの行列の図だそうです。

つい「その意味あるの?」と聞いてしまいましたが・・・私にはよくわかりません。

まぁその人たちからすれば他人様の墓地をうろうろしている私に奇妙を思うのでしょうね。

ただ私がそれを誇るのはいつも独りだということ。

みんなで並ぶことが「安心」を齎すのでしょうか、それでいてその繋がりというものは皆無という奇妙がそこにあります。

まぁどうでもよろしいことで。

 

扨、富沢地区(富沢墓地)に戻ります。また墓地ですが・・・

こちらの墓地は①②、道路際に立つ標識で気づきました。

それには「善光塚」とありますが、そこで初めてその名を知ったのでした。その由来については不詳。

設楽氏についての記述がさらりとありましたが、その「明治十一年に設楽・岩広両村が合併 富沢になり地名の設楽は消えた」とその未練のようなものが窺えます。

そういえば郡名はにも「設楽郡」がありましたからね。残念です。

墓地には古い宝篋印塔残欠に五輪塔が。

設楽氏系を思うエピタフも(場所はこちら)。