本年お磨き「やった感」 山本勘助不動尊 恵林寺

昨日午前はお磨き。

当流報恩講を控えて各家お内仏の金物仏具の手入れをするという倣いがありますが、それは寺の什物仏具も同様で、拙寺の場合はグループごとに分かれてその時間をとっていただくことになっています。

しかしコロナ禍によって4年近くのインターバルがあったため、順番が分からなくなり、今回は婦人部と世話人有志の参加を依頼していました。

やはりその間、手入れを怠っていたため、汚れ(真鍮の酸化)の堆積が半端ではなくいつものピカピカ金色には程遠い状況でした。

もはや手作業ではムリといった感。時間を取って酸にズブ浸けするか電動工具+バフのコンビでチャレンジするほかはありませんね。

 

午後からは以前からヘルプ要請のあったご門徒さんご自宅に鎮座する箪笥たち(五竿)を外に引っ張り出すことから。

その方は八王子在住、そのために相良まで来られました。

作業メンバーは殆ど午前と重複。

箪笥は当初、寺楽市にズラッと並べて希望者に引き取っていただく算段でしたが、箪笥2つはメンバーの中で引き取り手がありましたのでそれぞれの自宅まで運搬しました。

2件とも物置に使用するとのこと。

 

「デタラメに重い」別の1つはまず引き取り手はないだろうということ、境内に持ち帰って「どこに置くんだ」ということになりました。

ましてや「欲しい」という方がいらしてもそれを自宅まで搬送するなど4人がかり、「あり得ない」ということになって廃却処分となりました。新規購入すれば「10万円は下らない」ような代物でしすが、一同「・・・・」手を挙げる方は不在。

 

「今時箪笥なんかイラネ・・・」が主婦の声でした。

時代は変わりましたね。箪笥屋さんも困っているのでは。

また買い取り屋さんへ行くという選択肢はありませんでした。

前例から時間ばかりかかってロクな値が付きませんので「捨てた方がマシ」になりました。

4人2車で向かってそれを降ろし「バカを見る」ことは必定。

足元を見られ「イヤなら持って帰れ・・・」風の雰囲気となりますから。

 

4人がかりの一枚板のテーブルも出ました。

一旦は寺楽市で並べようということになりましたが何とかメンバー+αの中で引き取り手が見つかりました。

数十万円した特注品だったテーブルとのこと。

 

扨、先日続けて山本勘助繋がり(信供)を記してきましたが本日は甲州のそれへ。

以前記した恵林寺近くに山本勘助不動尊なる建屋がありました。山本勘助は江戸期の記述以外から見えなかったため、作り話説がありその実在に疑問符がありましたが、現代はまず彼は居たというのがスジ。

ただし看板にある「天正の頃」の件は明治期の創作のような気がしないワケでもありません。