荒れ模様の天気になると脅されていましたが、当地相良に限ってなのでしょう雨は微々たるものでした。何から何まで問題なしの傘なし。
法要は山口県からの参拝者がありましたが、テレビ画面から報じされていた九州・中国地方の降雨増水被害は厳しさを感じました。
たまたま今回は前線通過の気まぐれで当地の被災は免れたのでしたが、これに関してはまったくただの偶然。
高慢ちきになり果てた私どもにとってこの自然世界の気まぐれにはどうにもならない呆然と畏怖というものを感じるわけで。
次も助かりたい・・・誰もが願うことですが。
法事でのお話は来年の大河ドラマが源氏物語だということから勝手にバンバンと相当の飛躍をして繋いでしまいました。
「難しい言葉の連続」との感想で困惑したかの様子でしたが
私としてもあまりにも有名な語彙と捉えて「知る人ぞ知る」の如きに感じていましたのでその「難しい」には私も困惑させられてしまいました。
やはり私の身勝手な言葉の羅列だったようで。
初めて聞く方にはチンプンカンプンだったのかも知れません。
因みに今回の論としては帰敬式の「流転三界中」の語からはじまって・・・。
この詞はその源氏物語の浮舟の段で「横川の僧都」が浮舟の出家のシーンでも登場しますがその横川の僧都のモデルが恵心僧都-源信-。ちなみに源信さんは親鸞さんご指名の七高僧(龍樹 天親 曇鸞 道綽 善導 源信 源空)の一人で浄土系いわゆる「南無阿弥陀仏の七人」で正信偈に全員登場・・・。ざっと7人並べたてしまいました。
その源信の往生要集に出てくるのが今の大河ドラマでも見かける「厭離穢土欣求浄土」・・・と展開。
そして「欣求」の「欣」について。そこに持って行きたかったわけで。
その文字は「欲宣法 現欣笑 法を宣べんと欲して 欣笑を現ず」でも見られると。ざ~っと。
故人が「笑顔を絶やすことのない人だった」ということでその話に繋げましたが。
その笑顔が他者の不安をまず取り去り自らも相手を信じる姿勢であって、それこそが今言い囃されている「ウェルビーイング」である・・・などなど。
思えば私自身「わかっちゃいない」くせによくもまぁと息子に怒られそうですが、法話の体裁とは程遠くともまたちょっぴり難しそうな語彙であっても「話す人-聞く人」の関りが保てる場として大切な時間だったと思っています。
たとえば「?」を感じたとしら「何それ・・・」と返していただくことによってコミュニケーションが醸成されるというもの。
ちなみに(正信偈で)「源信さんの登場箇所はどちら?」なる質問もありました。
しかし何かの文字を出せば出典も明らかにしたいものですし、尾ひれも付いてしまうのは致し方ないこと。
自分としては当然であっても相手さまは初見・・・など大いにあるのですが、それそれで仕方ない。
天気の件では恵まれましたがその日はもっとお目出度い輩からメールがありました。
相変わらず日本語の覚束ない(日本の人ではなさそう)フィッシングが届くことに唖然とさせられますね。
最近ではまたイキナリline「お友達」メールに編入させていたことも腹が立ちますが、そのメンバーは見覚えのない連中が勢ぞろい。
即削除は当たり前。
内容は証券系の「儲かっちゃってるコミュニティ」を装う「お友達」メールでした。
ついつい返信して投資・出資話が盛り上がって実際に大金を振り込んでしまった人の話も別のニュースで拝見しましたのでline無理やり「お友達」詐欺。
そしてまたあいかわらず繁盛しているかの詐術は「あなたはすばらしい」系「おめでとうございます」や「当選しました」のセレブリティもの。ハズレなしのくじ引きやら運勢判定からの導入もしかり。
煽てられヨイショされると、のぼせ上って「そんなはずはない」と疑えないのが人間で、その欲望を巧みに突いてくるものですね。
一攫千金やうまい話も「そんなはず」があるわけないのですから。それほどに儲かるなら「自分でヤレ」と一蹴すべし。
闇バイトの使い捨てにフィッシング詐欺が流行る社会。
信じる者が身を滅ぼすことにも繋がるとこと思うぺし。
それに関しては笑顔で迎えてはイケません。
阿弥陀仏を一心に信じ(=自分を信じない)れば奴らのカモにはならないはずです。
画像上段は岩津円福寺墓域の続き。
寺の開基と寺を築き上げたセレブリティ。ありがちな卵塔に非ず。墓地の主役。
コメントをお書きください