林信志氏の成瀬姓検索レポ 女墓場「黒斑山」

お日様が顔を出す時間もありましたが、殆ど小雨交じりの一日でした。

私はここのところハマりきっている玄関内の大工仕事。

やりたいこと当初の予定は殆どおしまいになりましたが、次はあれがとたいコレがしたいとキリがありません。

玄関の中はとりあえず様子見ということにしましょうか・・・

 

それにしてもそこいらじゅう雑草の生えまくり。

うんざりですが、なるようにしかなりませんからね。

静波墓苑のご門徒さまの雑談で「俺がやろうか?」と追い出しをかけられていますのでそれも念頭にはありますが、とにかく盂蘭盆会法要を迎えることが当面の課題です。

天気が回復してくれなくては草刈りができませんし除草剤も撒けません。

まぁいつもの「勝手にしやがれ」ですが。

 

扨、以前浜松の林信志氏による「成瀬藤蔵正義の妻 妙意」についての推論を記しましたが、林氏は「静岡県の成瀬姓」というレポートを纏めていました。どの辺にどのくらいあるか・・・です。

レポートは相当以前のものでその調査方法は電話番号帳でした。

今時、携帯電話の普及によって自宅の電話を撤去する家が多くなっていますので、案外その調査方法は実数に近いものがあるかも知れません。

 

静岡県内市町村別「成瀬姓」

浜松88 菊川42 静岡41 磐田19 掛川17 島田12 富士12

藤枝11 大東10 清水8・・・

 

浜松市内町名別

西島18 鴨江5 植松3 上新屋3 富塚3 葵西3 中沢2・・・

 

菊川市内町名別

西方24 加茂5 堀之内3 仲島2 柳2 本所2 半済2

 

集中度の高い町

菊川市西方24 浜松市西島18 焼津道原11 磐田市見付8

掛川下土方8 東伊豆奈良本6

 

特に成瀬藤蔵正義が永禄五(1562)年に同僚を討って遠江に逃亡、三河一向一揆が始まる(永禄六年)までの約1年間、菊川の西方に逼塞していますが、郎党一族も引き連れあるいは後に合流していることでしょうから、その地に成瀬姓が集中して今に繋がっていることは想像できます。

 

その後三方ヶ原戦で夫が討死してから子たちを連れてその西方を中心に当初定住しようとしたこともありますね。

 

よって西方の成瀬姓(日坂成瀬含む)を推察すれば

1 成瀬正義の子孫の系統

2 正義の兄弟姉妹の子孫の系統

3 正義以前に嫡子系から別れた系統

  (逃亡先として選択した理由 親類が居た)

4 血縁関係は希薄ながら(郎党家臣)

5 まったく別系統

 

ということになりますが123が圧倒的に多いでしょうね。

 

因みに1の正義の子供たちは4名。

長男は隼人正正成(寛政譜では弟正一の子)で次男が本多能登守忠義の家中の片岡家へ養子入りした半右衛門。

三男藤蔵は父親と同じ名を名乗って西方の百姓家にそして四男傳助が大澤寺三世となった釋祐傳になります。

三男家の宮内衛門は日坂の古宮町へ別家して日坂成瀬の祖となったというところ。

 

その辺りのところを今度の盂蘭盆会で「歴史考察 私の勝手」の時間をとらせていただこうと。

 

画像は昨日送り付けられてきた「女墓場」からの私の知らない世界の画像。黒斑山だそうです。

今は墓より断然山趣向の様。

地上では見られない(高山)特別な植物の美に囲まれることに生きる意義を感じているようです。