前車の覆るは後車の戒め しかし毎度同じ轍

昨日は親鸞さん銅像の真上を覆うケヤキの伐採を行いました。息子が来るというので、これはいい機会と。

先端部分が枯れている枝が主ですが、枝の先端のみを効率よく伐っていくのは無理ですから枝の根元付近から長めにという仕事になります。

下に何もなければ、ただ伐ればイイだけですが、枝とは言っても相当な重量になりますので人間含めて構造物に落下したとすればタダでは済みません。

 

よって吊るし切り。樹上ロープワークが要となる作業で地上の作業員と木の上の私との連携が不可欠となります。

息子が現れましたが、他に用事があると言いいながらさっさと消えてしまいましたので結局は奥方と二人作業になりました。

その件相当腹が立ちましたし、二人きりの作業(下の作業員が奥方)のリスク~そもそも女性には向かない作業で前回は墓石を壊しました~は承知していますのでイライラも増幅、私のデカイ声が境内に響き渡っていました。

 

こういう時に限って電話がガンガン鳴って作業が頻繁に中断しました。その中には木の上にいるにもかかわらず、過去帳を開かなくてはわからないような事案を投げかけてくるなどかなりヤル気を削がれましたね。

その件よくよく聞けば相良出身の友人が亡くなった情報を断片的に得た方が「墓は何処か」とばかりに片っ端から相良周辺の寺に電話を掛けているとのことでした。

 

また純然たる歴史ファン(田沼)の訪問もあってその案内に地上の奥方が対応していましたね。

私を樹上に残して奥方が梯子やロープを持つ手を離して走っても「電話が切れちゃった・・・」ばかり。

またチェーンソー使用中など、まったく呼び出し音など聞こえませんから相当な失礼をしたことでしょう。

しかしまた、電話はここは割り切って無視するのが一番であるとも思いました。

 

しかし、やりたいことの半分程度でしたが、一番ヤバそうな枝は除去できました。天気良好なら明日もやるぞ・・・。

所感

①息子の手伝いなど期待してもまったくアテにならない

②彼に伐採技術を伝えようとも肩透かし ヤル気なし

③よっていよいよ将来のことについて「勝手にしやがれ」

④久々すぎる本格作業に筋肉痛の嵐

⑤最近の膝痛が樹上での身動きを抑さえる不安―老化

⑥無事でなにより

⑦あの手の仕事はもう一本、二連梯子が欲しい―中古品

 

扨、昨日、一昨日と書籍を三冊ほど手にすることができました。

⑤⑥「歎異抄と親鸞」は元総代の書店で一昨日購入しましたが、そのあと立て続けに小和田哲男先生の書籍(2023.3.29出)

「教養としての『戦国時代』」と京都国立博物館の親鸞展の図録をトントンという具合に各方面の方々より頂戴いたしました。

 

「前車の覆るは後車の戒め」の文言はその小和田先生の書の冒頭から。

その件十二分に承知しているつもりの私、それでいて同じ轍を踏んで七転八倒する私があることも知っています。

ただしその件、常に念頭にしているか、すべて成就した風を装って我が物顔に振舞うかで結果が違ってくるということは確かなことでしょうね。

 

それでも運不運の機縁もあれば凡ミスから致命的を招くこともあります。人間というものは案外出来損ないのですからね。

歴史を知って歴史に学びそれを将来に生かし、私が生かされていることを確認すること 肝要。