秦梨城(字林中)やみくも登城 まず墓地から 卍紋

銀座で子供たちが無茶をやった件、わざわざ民放にチャンネルを合わせて概略視聴しました。

当然にセンセーショナル、そしておバカな事件でしたが視聴者は集められそうで各局続報を流していたようです。

私もついついそれにのっかってモニター前に。

 

リスクが同じということで最近は一時流行った一般家庭への強盗から実入りがビックな貴金属店や高級品を取り扱う店に的を絞っての強襲になっているよう。

一般人からすればそれは良き傾向ですがそういった店の経営者からすれば嫌な風潮でしょうね。

 

強奪された品物の合計は億のレベルに上るようですが、店内を壊しまくっていますし、それらの修復弁済は親が支払うことになることは必定の事。

そもそもそういったショーケースにある陳列品はケースを叩き壊してからやけくそ一緒くたに袋に放り込むことはありませんので、まず傷物になるでしょうしそもそもケチが付きます。

商人は一番に嫌うところです。

親たちは一旦上代(定価・・・言い値)で買い取って(値引きしてくれとは言いにくい)どちらかに引き取ってもらう形になるでしょう。

その買い取り業者には買い叩かれることになるでしょうから

1億円で購入して1000万円以下で処分することにもなりかねません。店舗の修繕費、新装までの休業に対する補償を入れると破産レベルかも。裁判費用もこれからの新しい夢のない生活への対応もあります。一つくらいは自費で購入するのかな?

 

何人で割り算するのか知りませんが、親たちとしては大変なことになりました。

ネットで集める闇バイトの暗躍が囁かれていますが若い連中の「劇画の見過ぎ」短絡思考は如何にも困ったものです。

お店としては思いもしない上客の出現に案外、小躍りしているかも知れませんね。

墓穴を掘っている事、気づいて欲しい・・・自身のために。

100%「確保~」されちゃうことも知ってね。

 

扨、昨日の字神谷の方の秦梨城。わかりやすく行きやすい城でした。ところがもう一つの秦梨山城といわれる字名林中は案内も登城口の指定も見当たらないということで難渋させられました。

山城の外観は県道を岡崎方面から来て秦梨の街区に入る乙川に架かる橋を渡ってから右を①②。

そしてなぜか周辺に見かけることが多い須佐之男神社(前回はこちら)の手前の修理工場前の道を鋭角に曲がって、行き止まりにある墓地へ。

墓地には駐車場がつきものですし。

結局はそちらからの登攀は諦めましたが墓地周辺をぶらぶら

③~⑧。

 

山側の古い五輪塔のある墓地の前を見ると埋もれかかった蓮台と石の経机、飾り台が。

古い墓地の形跡が見受けられて私としてもその図は収穫でした。またその墓地の近くには石積みが見られました。

それがこの墓域を特定した結界の入口なのか、城、追手道のスタートなのかそれは不詳です。

まぁ詳細実地調査が行われていない城址ということで。

 

私はまた墓石の銘に目が留まってしまいました。実は昨日の画像⑤、字神谷の秦梨城に辿る道を直進して、ぐるっとその須佐之男神社まで降りる道を廻った際⑨⑩の墓碑に遭遇、こちらは新しいものでしたが。

山の上部と下部で同じ「蜂須賀」さんの名という奇遇です。

蜂須賀といえば岡崎では矢作川に架かる出会いの像を思い出しますが・・・

山の上部の方は例の蜂須賀万字紋(左万字)が光っていました。