深溝長満寺本堂裏 大庭氏五輪塔と八田家墓域

寒いだ暑いだ体感がコロコロ変わります。

昨日は車内に居てイラっとさせられるほどに気温が上昇しました。

よって今年初、窓を閉め切りエアコンのスイッチをON。

窓を開ければウグイスたちの競演。どちらも相当の上達を見せています。

ただし浮れているとヤラれます。再び本堂で「ストーブ出せよ」の声が聞こえるかも知れません。

 

昨晩は西本願寺のお隣の興正寺にニュースがありました。

以前からよく言われている「真宗十派」の一つで当流同様宗祖は親鸞聖人、お念仏を旨とするなど「殆ど同じ」なのですが、少々の違いはありますね。

まぁご門徒さんからすれば「殆ど ど~でもイイ」ようなことですが、門主のことを「嗣法」と呼ぶようです。

19日にその「嗣法」の就任式があったといいますが、その方が女

性でした。

 

当流にも以前から「女性住職の集い」なるものがあって(昨年からは「女性僧侶の集い」に名称変更)、僧侶の女性の進出を後押しするところを見せていましたが宗門のトップに就任したということですからね。

素晴らしいです。

当流でいえば前門主が「障がい」がある方でしたし現門主が「ブラジル国籍」です。

次は女性かな・・・と思っていたところですので同じ南無阿弥陀仏の仏飯を食む者として、まさに「平等施一切」は嬉しいことです。

 

扨、深溝長満寺は深溝城大庭(大場とも)一統とともに一時は衰微した寺といいますが、その原因が「額田郡一揆」ですね。

三河が荒れる国となったその理由は室町将軍家一統の吉良家が東西分裂抗争に至り領内大小国人、地侍がそのドサクサに便乗して幕府方の差配から反目を始めたからです。

そのドサクサを機に「家」を強化拡大の道に載せたのが松平でした。

 

「額田郡一揆」は戦国期突入直前の三河を語るに欠かせない

事案。概略はググっていただければ・・・

登場人物も地味ですがなかなかのものです。

その長満寺は松平期に復活を遂げますが城主大庭次郎左衛門尉は深溝で討伐されてしまいます。

 

墓は長満寺本堂の裏山、おそらく⑤⑥⑦と思われます。

その近くには江戸期の八田氏の墓がズラリと並んでいました。