大沼足助線 山を縫う街道筋 以前の下山村 等順寺

雨予報があるため、溜まっていた花ガラと「春の法要」の「宴のあと」を地頭方処理場に。軽トラ1車、しかしお代は300円。

その値上げは今のところ無さそうです。

今回の前線通過はまとまった雨になるようで、乾期好きのブーゲンの3鉢を屋根の下に移動。

今年最初の嵐となるか・・・テラスから出したばかりのハイビスカスには試練となりましょう。

 

今年は桜の開花も早く、用事色々が重なってその見物のための遠乗りに出向いていません。

そこで私の以前から提案していた、福井県の一乗谷のサクラでも・・・と奥方に尋ねると、「サクラなどそこいらでいくらでも愛でることができる」とわざわざ福井まで出向く意味について逆に問われてしまいました。

それを言っちゃあオシメエ・・・ですね。

 

私には当地のソメイヨシノの散りかけ時期こそ越前のサクラの見頃になりつつあるというイメージがあるため、そのお誘いをしたわけですが、最近、奥方は自然界が殊に苦手の様。

それは年々花粉症の症状が酷くなっているとのこと。

医師に処方された薬を服用すると「何しろ眠い」とのことで今この時期が、「すべてが不快」となる要因となっているようです。

 

以前も記しましたが、私も20代前半はその症状によって春といえば惨めで憂鬱な時期でした。

会社を辞めて数年間ほど春先からの沖縄での仕事を経た結果、症状は治まってしまいました。要は花粉症が治ったと解釈しています。そのメカニズム、医学的に証明してほしいものです。

ちなみに今、私の体調不良の継続と言えば神経痛の如くの肩・首の痛みと両腕の痺れです。

私はそれを「コロナワクチンの副反応」と確信しています。

ワクチンの部類、これに関しては以後御免蒙りたい。

このような痛みについて四六時中耐えなくてはならないのなら、コロナに罹った方が余程マシといったところ。

 

扨、昨日の続き。祖父の何かしらの想いがあってのあの赤ペン

印が引かれた等順寺。

その地は現在は豊田市(大沼町)に編入されていますが「東加茂郡下山村」が以前の地名。

その地には各所にその「下山村」への愛着でしょう石標と記念樹の存在がありました。

やはり旧地名を懐かしむ声はあるのでしょう。

合併して大きくなることの利点はあるのかも知れませんが「昔が消える」ことにはどうしても寂しさが伴いますからね。

 

この地は「大沼足助線」(県道362)という巴川の足助を頂点とした三角形の中心底辺にある松平郷から足助方面に繋がる街道筋。

豊田市街から足助に向かう酒呑経由の道の裏街道となります。

この辺りは山谷-山谷の連続で山と山の間を縫うように走る街道とそれに沿ってある耕作地+住居がポツポツという山間地。

 

車が無ければまずどちらからであっても決してお気軽とは言えない場所で、祖父がこちらを訪れるなど考えられませんが、私的には、そのまさにその「自然の中」は好みの地です。

 

お寺の山号・寺号に「松」付というところ近隣、松平発祥の地というその関係も想像しますが、寺紋は立葵、住職の苗字は本多さんというところも興味深い。

 

山が背後に迫るということで一番の難題は山が崩れ落ちること。

こちらのお寺も以前、山崩れによって寺宝の数々が一部土砂とともに流されてしまったといいます。

 

そして花粉症の件もあります。

山間部に住まう方もそれで悩む方は多々いらっしゃるよう。

アレルギーは慣れで済む問題ではないのでしょうかね。

私はよく奥方に「杉林、山での逆療法は如何・・・」と投げかけてはいますが最近その「山城」等「山」の付く語を吐くとやたらと険悪な雰囲気が漂っています。

 

周辺村落には真宗門徒であっても弘法信仰が古くから並立してあるようです⑦。

 

以下書面は等順寺28代目住職が記したもの。

拙寺15代の私の殆ど倍。

やはり天台からの改宗、安城赤松本楽寺からの分流として数えればそのくらいはイクかも・・・。