農耕地と化した宗定城と薬師堂がある大谷派の祐専寺

曇多め気温ちょっと低めながらさわやかな一日。

午前は通常の法事に午後からは墓じまいの墓前法要に赴きました。

ただし今回は他流の墓を閉扉して拙寺の一處墓に納骨するというもので当流への宗旨替えということになります。

もし、別のお寺さんの境内にあるものでしたらまったくもってムリな話ですがたまたまそのお宅の墓地が山の中にあったため、お気楽なものでした。

 

その山には以前はアカマツ林があって、その方の若い頃といえばマツケタケ狩りに出かけたと。

季節となればマツタケの独特のあの香りが林に漂っていて、地域の皆さんの当番でマツタケ泥棒の見張り番が出たといいます。

そのような経験のない私にとってとても興味深いお話でした。

近年、某建設会社による土砂採取によってそのアカマツ林は消失、竹の侵食で周辺どちらも荒れているとのこと。

 

そして今はタケノコシーズンとなり、それを狙ったイノシシが走り回っているといいます。

帰宅してしばらく、そのタケノコの茹でたてホヤホヤの初ものが届けられましたが4月の初旬のタケノコ・・・まったく初めてのことだと思います。

 

扨、拙寺の住職を継承して18年目、私は15代目となりますが、その「15代」について450年の年月を経てはいますが、三河あたりにはその倍、30代(900年)近い創建の古さを誇る寺々はまたぞろありますね。

それは親鸞聖人から蓮如上人の三河逗留の件から教如上人逃避行の歴史の存在がある中、それまでの天台等平安期を代表とする仏教起源の寺たちが真宗に改宗してきた歴史があるからです。

 

そこで一つ面白いというか一般的な真宗寺院のイメージとは異なる仏の存在を目にします。

 

当流は「一向専念無量寿仏」で阿弥陀仏一仏の宗旨。

他の仏さんが同居しているということは「大抵ナイ」というのがイメージですが古き時代の本尊などの名残りもまた継承されていることもあります。

 

岡崎の北、大樹寺辺りの西、矢作川の対岸の豊田市宗定の地に祐専寺という真宗大谷派のお寺があります。

拙寺代々の法名の通字は「祐」ですので興味も沸いて立ち寄りました。

するとその水屋の井戸薬師に本堂の隣に薬師(瑠璃光)堂がありました。

 

拙寺には以前太子堂がありましたが、拙寺の如く歴史の浅い真宗寺院にその聖徳太子に阿弥陀如来以外の諸仏が安置されていることはまずありませんのでその経緯を「なるほど」という具合に拝見させていただきました。

西方浄土と東方浄瑠璃世界の併存。

⑩画像の奥に竹の密集が見られますがその向こうが矢作川になります。

 

此の地の字名が「宗定」になりますが、この近くには宗定城の伝承があります。これまで「則定城」について記してきましたが紛らわしい名で、私は以前は混乱しました。

湿地帯に囲われた平城でその面影はまったくありませんが、例によってできるだけ昔の事を知っていそうな男性を探してインタビュー。公園にはベビーカーを押すお母さんがいましたがそちらはパス。

するとその年配の方は「あの辺り(公園との境界)・・・に土塁があった」と指示してくださいました。

以前土地改良工事が行政主導で行われてからただの農耕地と化したとのこと。

その方は「おそらくその城、宗定城の存在を知っているのは私くらいだろう・・・」とのことでした。

たまたま、そういう方と出会えるということこそ「仕合わせ」。

 

「三河国二葉松」に「阿部四郎五郎忠政在城」(場所はこちら)。