則定鈴木正三史跡公園 椎城と鈴木重氏墓 

移動の季節。

先日の横浜行脚の帰り途、ここぞといった高速道SAはどちらも「満」印あるいはここのところ見たこともないほどの混雑ぶり。

コロナ明けで緩んだ社会の最初の春休みということもありますが、荷物をフルに積んだ自家用車、貨物車が多く見受けられました。

 

ある拙寺ご門徒さんが「明日は息子の引っ越し」のために夫婦で横浜に向かうと仰っていました。前浜(相良の小字)から横浜ということで「浜浜で~す」と。

それを聞いて私も今節息子はその横浜から浜松に引っ越し。

やはり「浜浜~」。

 

息子の荷物は拙寺物置にとりあえずというカタチで放り込んでいますが、それはこれまで彼が済んだ家の退去指定期日と新居入居指定日にタイムラグがあったわけ(1か月)で、その二度手間のバカバカしい事実を聞いたとき呆気にとられたのでしたが「ネットで調べて自分で決めた」の一点張り。

浜松など全く地の利のない彼がよくもまぁ。何を言ってもしょうがない。私と同じなのですが「適当に決めて、あとは何とかしよう」の無計画性。

いつもの勝手にしやがれとなりました。

しかしその「ネットで調べた」場所とやら、浜松駅の南西方向。

東名高速の各ICからは遠く、駅周辺渋滞頻発地帯を抜けての地。

その件事前に私に報せてくれていたら「絶対ヤメロ!!」と一蹴するような所ですからね。

普段から念仏称名していても「念を入れて」思考することには程遠い・・・その血を感じました。

 

扨、昨日まで記した則定の地、三つの城のうち一番の高さと規模を誇るであろう椎城へ。

鈴木正三史跡公園の山がそれです。

銅像脇にある東屋の先から登城しますが、道は整備の手が入っていて難なく。

案内板も各設置されています。

二の丸入っての鈴木重氏なる人の墓がまず出迎えてくれますがその人の詳細は不明とのこと。「重」付の鈴木ですから三河加茂郡の国人派生系を示唆しています。

 

その次の比較的大きな堀切に満足しながら帯郭⑫へ。

その⑫左上が主郭になります。

尚、「則定村古屋敷」の名称と「椎城」の別表現は時代の違いがあったことも考えられますし三城のうち一番大きくて高位置にある城ですから、それらの主たる城だったのかと推測します。

たまたま城山麓部に屋敷址の存在が伝承(銅像のある辺りからグラウンドまで)しているということでしょう。