失敗こそ必要な材料 平沢興 空誓所縁皆福寺にて

昨日ブログに記した厚生労働省が発表した「統計開始以来最多」といわれる数字、小中高校生の自殺者数が514人(高校生354名 中学生143名)について、メディアとしての反応について「どうだろう・・・」と思ってさらっと何度か切り替え。

私が視聴した中で、それに触れていた番組はまったく無かったような。

やはり野球(WBC)一本やり、次のイタリア戦の話題ばかりで、その件、殆ど完無視に近いようでした。

 

自分(我が子)のことではないというか、関りが薄いレアケースと解釈、あるいは「未来の事より今」という刹那主義、楽しそうな話題で行こう・・・のノー天気というのでは決してないはずですが、やはりその手の危機意識が欠落しているのでしょう。

大した問題とは考えていない・・・そういうこと。

視聴者もそのリスキーな話題から離れている社会に対して疑問を持たなくてはイケないということかも。

子供たちからこの社会に対して「オカシイ!」を突き付けていることがまだわからないのでしょうかね。尻に火が付いている、まさに火宅なのに

その数字が右肩上がりのラインを描くとすれば、一体どれほどの子供のいのちが消えていくのか・・・。

手をこまねいて放置し、我が身のこと、その関わりに迫られたときにようやく気が付くのでしたらサル以下。

 

扨、私が伺った真宗大谷派のお寺、上宮山皆福寺。

そちらの本堂にはたくさんの法語が掛けられていました。

毎週金曜日には書道教室として本堂を開放しているそうです。そこで書生さんたちの達筆を拝見。

 

平沢興と金子大栄の言葉がありましたのでこちらに掲げます。

そのお二人は多くの真宗的法語を残していますからどちらでもお見掛けする機会があります。

 

その2題。

「私たちの人生において失敗はつきもの。

逃げて通れるものではないというのが当たり前、たとえ失敗したとしても振り返って反省し、何度でも起き上がって進もう・・。」何よりそれで「強くなれる」。そんな感じ・・・。

 

最近といえばいわゆる金メダルゲット風の美談、成功譚が溢れかえり、失敗・挫折などは「あってはならない、避けるべき」のような人生遠回りの感覚。

そして失敗したり転んで七転八倒、苦しむ者を笑い飛ばし「私は違うを誇る」傾向強しの感。

自分が痛みを感じて耐えられないを感じたら・・・究極、ゲーム感覚で即リセットしてしまうという流れがそこにあるのかも知れません。

 

皆福寺の活動を見廻して、天晴れと思うところ多々ありました。

真似したいことがたくさん。

山間部といえ、これから人口が増えていきそうな地ではありますが現状この相良あたりよりも断然、風光明媚を感じます(場所はこちら)。

空気はうまいがコンビニもスーパーマーケットも付近に一切見当たりませんでした。

 

また、このお寺の創建が約800年前といいますから歴史の深さを感じます。

元は天台宗のお寺で、覚如上人の直弟子となって真宗に改宗したとのこと。

一向一揆の際、当時はもっと山深い別の場所にお寺があり、そのために岡崎衆(家康)の追求から逃れられたようです。

そしてこちらの住職が本證寺の空誓の逃亡を助け、この街道の先の足助まで案内していったといわれています。

今も足助には檀家さんの数家があるそうですが、当地からそのまま空誓の世話役として向かい定住したとも。

 

本尊阿弥陀如来は顕如から付されたものとのことですが、それ以前のご本尊と言えば「聖徳太子高僧連座像」の軸だったそう。

よって山号が「上宮山」(上宮王子=聖徳太子)。

 

ちなみに「聖徳太子高僧連座像」は軸2/3の大きさに聖徳太子

孝養像が描かれていてその左上に法然、右上に親鸞の坐像が描かれるというもの。

 

⑦本堂余間には聖徳太子の軸と像が。

上記聖徳太子像は別の場所にあります。 

②は門前でお迎えしてくれる巨石たち。

以前の写真によれば③は石垣積みの見事なものでした。

恰も城の如く・・・です。