山中城址碑に志賀重昂の名

今年の春は慌ただしくなりそう。

というのも横浜の息子がこの3月で借家(2年契約)の満期が訪れたことから退去か継続かを迫られることになりいよいよ今季での退去を決めたからです。

彼が何を考えているか知りませんが、4年間お世話になった横浜のお寺を「卒業」して次の奉公先を決めるとのこと。

次の定住地は静岡県内になりますので、私としても時に境内雑用から法事まで手伝わせることができるという腹積もりもあってお気楽になること大いに期待しています。

この4年間、先のお寺でかなりの場数を積ませていただいていますので、何とかうまいことやれると楽観しています。

 

そういうことで彼の引っ越しの手伝いが近々あります。

退去と新天地の入居まで1カ月のタイムラグがあるのでその間は荷物は寺の物置に運んでおき、最後の約1カ月は義母の家から最後のお勤めとするそう。

 

運搬は私の仕事。

こちらでレンタカー(2t)を借りて横浜へ向かい、さっと積み込んでさっと帰宅したいもの。

1日で返却できるかどうか課題です。そして多少の時間延長が可能かどうか。

以前渋谷の叔母宅からの引っ越しに4t車を繰り出しましたが彼の家なら2t車、1車で十分です。2時間で積み込み完了できれば、何とかなりそうです。

私は積込みと運転がしやすい平ボディをと考えていますがそれだとお天気が絶対条件、タイミングが肝心です。

 

扨、岡崎の山中城。

昨日は城郭大系の本編に扱われていなかったことから、専門家あたりからの認知度は低かったかのようなことを記しましたが、地元岡崎ではそれなりに名は通っていたような気がします。

というのは本曲輪跡に建つ山中城址の碑文の主の名に志賀重昂(またはこちら)とあってその記した日が大正十二年十月とあります。

城郭大系が発刊された昭和54年よりかなり遡ります。

地元の一部では著名であっても専門学会で認知されるまではタイムラグがあったということでしょうか。

 

さほど高度はない山城で、近江あたりのそれに慣れた皆さんからすれば拍子抜けされるかも知れません。

ただし遺構はまずまず、地元有志の皆さんが設けた案内板は親切でわかりやすいものがありました。

 

⑬国道一号に名鉄駅方向まで見渡せます。