梶勝忠由縁木戸観音の春 鎧に観音持仏を巻いて

今年の大晦日の除夕鐘の件、予定通り午前10時30分から始めます。荒天にさえならなければいいのですが・・・

多少の寒さくらいなら許容できます。

 

懸案だった駐車場の案内配置の件。

昨年までは檀家さんと私でその常駐を何とか回してきましたが、あの仕事はなかなかキツい。

何が辛いかといえば暇なときは暇(寒い! ! ) 、忙しくなるとハチャメチャ。ついつい誘導などして事故でも起こさないかと気が気ではなくなりますね。

 

要は寒いのと神経を使うのと、そして何かあったら・・・の責任重大の場所ということになります。

よって解決策を私が提案しました。

 

そして昨日早速にその手配をしていただくことが決まりました。それがその日だけガードマンを雇うというもの。

果たしてそれを受けてくれる業者があるのか少々不安でしたが快諾してくれた業者さんがありました。

 

檀家さんのボランティア有志に「○○さん駐車場係をお願いしま~す」など言いにくいことでした。

また「そんな経費をかけるなら私がやります」などの意見もありましょうが、「何かあったら」の責任から逃れられるということを意図していますので、それこそがベストな選択と考えました。

安心をおカネで買わせていただくという算段です。

 

鐘撞の開催について拙寺が100%その「責任」から逃れられるとは思ってもいませんが、少なからず「駐車場のこと」はプロに任せて安心したいということです。境内に集中です。

 

さて、昨日に続き木戸観音の「春」の様を。

地域にそっと佇むお堂ではありますが、そういった所に事前情報なしで、ひょいという具合に訪れ「ほうっ」と思わされる事はまずありませんね。

それがその堂前脇に立つ石碑の文字を眺めた時。

こういった場所に建つ石碑の存在はよく目にします。

それに関して私は一応はざっと目を通すことにしていますがまずは日清日露戦争、大東亜戦争への地域従軍者の顕彰碑ですね。

 

要は地元限定の方たちの名の羅列で私の知らない世界。

ところがこの碑に記された文言にはあまりにも有名な名がありました。

その内容は主観主張(当たり前・・・)であってそのままこれを信じ入れることはできませんが、「ほうっ」の感激がありました。

ということでその碑文の内容を。

 

 

「 木戸観音縁起

 

此観音堂ノ創立ハ年代悠久ニシテ知ルニ由ナキ共中コ

ロ能美松平氏ノ族楫金平勝忠ノ持仏観世音菩薩ヲ伴セ

安置セルモノナリ傳ヘ云フ勝忠ノ老母年来観世音ヲ信

仰セシカ或時一老翁ノ示現ニヨリ観世音ノ尊像ヲ授ケ

ラル老母イタク感激シ愈尊崇ノ誠ヲ盡シ之ヲ勝忠ニ授

ク勝忠乃チ守本尊トシテ寸時モ離サス戦場ニ臨ムヤ毎

ニ甲冑ニ巻レタルモノナルニ其主本多平八郎忠勝ニ属

シ勇戦奮闘戦へハ必ス勝チ身ニ一創痍ヲモ蒙ラサレシ

ハ一ニ此尊像ノ霊験加護ニ因リシモノト伝フベシ楫氏

ノ子孫相傳へテ崇敬怠ラナリシカ明治維新ノ癸(とき)従僕住

右衛門ナルモノ楫氏の意ヲ奉シテ平岩一族ノ尊奉シ来

レル堂宇ニ安置セシモノナリ茲ニ其由来ノ概略ヲ記シ

皆人ノ大慈大悲ノ應護ヲ仰クヨスカトスト云フ 」

 

明治以降に記され碑であることがわかります。

楫金平勝忠は梶勝忠のこと。ウィキでは梶正道で。

足助出身で木戸の観音堂がその持仏堂としてあるということ、本多忠勝との関り・・・こちらでの根拠を見出せませんが成瀬藤蔵正義の影も私的には浮かんできます。

本多忠勝家老の双璧、中根もしかり。

あと一つ、藤蔵正義と忠勝の繋がりを伝える史料が欲しいものです。