勒さん(妙意)の出自も織田中根(忠實)の件も不明 浄土寺

昨日の冷え込みもキツく昨日は親鸞さん像の前に霜が降り、水盤に氷が張りました。

北陸では大雪になって道路の通行止めと大渋滞のニュースがありました。

ハイビスカスたちが入るテラスの気温は夜間3℃代、慌ててエアコンをオンしましたがヤバいかも。

 

昨日の私どもの仕事は隙間風対策。

奥方が庫裏の居間と寝床部屋周辺<私が本堂の対策です。

とはいっても抜本的なものとは程遠く、気休めの部類ですね。

それは主に障子貼り。

庫裏中のどうでもいいような箇所には銀色の保温シートや段ボールを貼ったり立てたりしてゴマ化しました。

奥方は目を血走らせて幾枚かの障子と格闘していました。

殆どがネコどもの仕業です。

 

私は本堂の障子担当。

去年はたしか障子全面の張り替えをしましたが、今回はピンポイント補修です。

こちらはネコによる突破もありますが、外部に面しているだけあって自然劣化も甚だしく、北側に面したそれの放置は読経中の風と風切り音と破けた障子紙のパタパタ音に注意を逸らされますから特に。

適当に紙を切って張るだけの仕事ですが、風が強いため難儀させられました。

 

奥方は、「どんだけ障子が・・・」とその障子の数について不満たらたらです。

檀家さんも「殆ど外気と同様」の場ですごさなくてはならないのは気の毒であると。

まぁ、どちらのお寺でもサッシ化されていますがね。

レールと車の土台自体が劣化してぐらぐら、開け閉めもままならないのはわかりますが。

私は「これでいい」。

柱が曲がって梁が落ち、床が波打っている本堂に「何がサッシじゃ~」。

 

さて、昨日記した桑名浄土寺の本多忠勝墓域の鳥居を潜ってスグ正面奥の忠勝の墓とは別に左右に墓があります。

その向かって右側に建つのが中根忠實の墓。

例の箱柳の中根であちらには

「中根氏祖とは平清盛の叔父忠正の七男の七郎正持が保元乱(1156)後、母に倶われて(2才)碧海中根村に遁れ成人して額田郡箱柳村に住し成人に成るまで世話になった中根村の中根を姓にした。以来忠良まで14代400年に亘り堂根筋六郷を治め其の間に近郷に拡り此の地方の中根姓の祖で有り箱柳は其の発生の地である。」とありましたが、二俣城主の中根正照が三方ヶ原で亡くなったため、急きょ織田家から中根家に養子に入った織田信照ともいわれています。

その人は織田信秀の九男または十男と言われていますが要は織田信長の弟になります。

 

本多忠勝家家老として生涯忠勝に付き添い、桑名で忠勝の死に伴って腹を切っています。観月院殿覚窓浄安居士。

彼の妻が忠勝の妹といいます。

本多家と中根家の付き合いは切っても切れないことはわかりますが、当家三代目祐傳の母、釋尼妙意の出自の中根家出身説が確定したわけではありません。