「憎まれながら 三百年」 没法子 吉良さんの寺

朝起きれば庫裏の気温は8℃。

晴れ間は有難いのですが、何せ北西風が・・・無茶苦茶寒いです。

 

ネコどもは太陽の位置に敏感。数少ない最適の場所を求めて家中放浪しています。

 

私は在庫しているストーブの数台を引き出して、給油してから点火、着火の確認作業を。

うち1台は消火のレバーが壊れていましたので廃棄処分となりました。

当年4月を迎えるころ、それらを各所に片づけたわけですが、その際梱包用フィルムテープでぐるぐる巻きにしていますのでまずは埃・虫などの混入はありません。経年劣化ということで。

 

ざっとブロアーで吹いてから給油して暫く、点火するわけですが、いつもいつも腹が立つのは電池式点火装置がまず最初に壊れて、直接ライターで点火しなくてはならないということ。

 

先の長い形状のライターをストーブごとに用意しなくてはなりません。また昔のタイプの給油タンクはワンタッチ式ではないため手が灯油臭くなるのがイケません。

冬場の面倒の一つですね。

私が法事の予定を受ける際に「冬の本堂は極寒」につき、「暖かくなってからでいいですよ」と一応付け加えるのは健康を害するような寒さの中、無理に開催することはない・・・ということなのですが灯油の消費量も気になります。

値段がバカ高となっていますが給油作業も面倒このうえなし。

また参列者の中に子供がいれば焼香鉢の炭に加えて、注意喚起が必要です。

 

さて、相変わらず昨日も奥方は「忠臣蔵」を視聴していましたが私は「吉良さん悪者は演出」とあらためてそれが「劇」のお話、「ないまぜ」の件、余計なことながら重ねての御注進をさせていただいたわけです。

「吉良の郷、今の西尾市内で忠臣蔵だとか吉良さんの悪口など言えないよ・・・」でした。

 

尾崎士郎の「本所松坂町」の件を少々紹介したのでした。

ちなみに青空文庫にもあります。

その冒頭の

 

「吉良の殿様よい殿様

 赤いお馬の見廻りも

 浪士にうたれてそれからは

 仕様がないではないかいな」

 

と「仕様がない」=「没法子」(メイファーズ)なる中国語を引用

彼、尾崎士郎(吉良さん地元、幡豆郡-現西尾市生まれ)が他所の人が地元の人々の心中を推測して評する歌から。

 

そして「世を怨み、運命に憤る庶民の感情は三百年間、大地に沁みとおる水のごとく綿々として今につづいているのである。

もし嘘だと思ったら『吉良郷』まで行ってごらんになるといい。諸君がもし足一歩、横須賀村へ入って吉良上野の悪口を一言半句でも囁やいたら、どんな結果を生ずるか、私(作者)といえども軽々しく保証のかぎりではない。」と地元に愛された殿様であったことと地元の無念に対する反骨が記されます。

 

文末の

「江戸から帰ってくる連中も、三州吉良の住民だというと、もう誰からも本気で相手にはされなかった。

『あいつは吉良だよ』という声が、一歩村の外へ出ると、どこからともなく聞えてくる。

忠臣蔵が方々であたらしい感動をよびおこすにつれて横須賀村の住民たちは肩身の狭い思いをしなければならなかった。

しかし、いつまでも息をひそめていられるものではない。

他領へ嫁にいった娘や、養子にやられた青年たちが吉良出身という理由で破談になり、村へ帰ってくると、彼等は徐々にすくめていた肩をそびやかした。

『吉良領がどうしたんだ、忠臣蔵のへっぽこ芝居にたぶらかされている奴等におれたちの気持がわかってたまるもんかい、よし、ひと口でも吉良上野の悪口をたたいてみやがれ、そのままにしておくものか』」からも吉良地元の気概が伝わってくるのでした。

あのお芝居がイジメや差別に繋がったと思うとただ喜んで観ているワケにもいかないものですね。

 

画像①②村上鬼城の句そして③は吉良家菩提寺の華蔵寺。

④⑤は華蔵寺の門前駐車場の図。⑥⑦花岳寺

華厳寺も花岳寺もお隣同士。

馬上の吉良さんは他所でも目にすることができます。

「吉良さん」と親しみやすく「さん」付けなのです。

 

一色の安休寺雲英さんといい、幡豆郡(西尾)で忠臣蔵のお話はタブー。12月14日といえば吉良上野介義央公の御命日ということ。

まさに「没法子」「人間万事塞翁が馬」ではありますが・・・