浜松「いなんばやま」平手監物終焉の地

昨日午前、法要の準備をしていると境内にいた檀家さんから声をかけられました。

「オレは3回でやめたが住職はどうした?」です。

 

私は「勿論3回でお仕舞い」と応答。

そこからワクチン談義がはじまりました。

まぁ、すべてその4回目以降「打たない理由」を元に会話が進行。

双方でネガティブ意見を揃え結論は「ワクチンはロクでもない」「国に殺されちまう」「打ちたい人が打てばイイ」 (よって「私は打たない」)です。

副反応と今のコロナの症状(昨日)を天秤にかけて「罹ったら罹ったでそれを淡々と承るのみ」で締めました。

 

法要後の時間は施主さんたちとNHKの各放送談義に。

子供が虫好きで例の昆虫番組が突如消えてしまいガッカリ。

「オトナの事情、彼は知りません」とのこと。

「サカナや植物の番組も力を入れているのでそれぞれ面白い」と振りましたが「昆虫への興味」の方が断然だったそうですからオトナの事情は子供たちには酷だったようです。

 

この日はたまたま11時開式でしたので9時からの日曜美術館を視聴しました。再放送は次の日曜日Eテレ夜8時。

今度の東京行脚の日程に「静嘉堂文庫美術館」に立ち寄ることを検討しましたが企画展示のつき物、入れ替え期間に当たってしまってまたの機会ということで。

あの展示内容なら十分楽しめますので頭に入れておくことにしましょう。

 

午後7時からはコスタリカ戦。

てっきりNHKの放映があるかと思いきや4K放送だけだったよう。やむを得ず不快な解説者の民放に。

試合は凡戦、世界にはあまり見せられない(「奥の墓道」氏)ながらそれなりのチーム同士だから酷評はされないのでは・・・と厳しい言葉。

試合はあの日本全国うかれ具合の様に反して敗戦。

「ベスト8」とか言っていた方、どうするの?

予選敗退が濃厚になった現実、「まだイケる」の声は選手にありますが私の頭の中にスペインに勝利する図はどうひっくり返っても描けません。

ちなみに墓道氏はドイツ戦の勝利は「15回に1回のまぐれ」を「20回に1回に訂正する」と。

そして次のスペイン戦スコアを0-3と予想していました。

その件息子も同様で三名の意見が揃ってしまいました。

雑音がなくなれば「本当のW杯」が楽しめると墓道氏。

初戦でビッグな大勝を得てあのはしゃぎっぷり。見事なその裏腹の現実は・・・愚の骨頂とも。世界はそう見ているのでは。

あの有名な北条氏綱の家訓、生かされませんでしたね。

 

さて、三方ヶ原戦。

織田方より出張した武将に平手汎秀(ひろひで)がいました。

先日は『三河後風土記正説大全』の「巻之二十四 (三) 家康

公御旗本軍付尾州勢敗軍平手監物勇敢并鳥居・成瀬討死の事」を記しましたが、その書籍には表題の通り、「天晴れ」の高評価の記述になっていました(こちらの画像⑥ P302 成瀬と鳥居の口論の記述の直前)。

 

織田方援軍として唯一その戦いで討死したということでその敬意に相違ありませんが。

他の織田勢の顔ぶれに林秀貞・佐久間信盛・水野信元らがありましたが戦局を見て早々に退散して彼一人が織田の面目を保ったという形になりました。

 

一説に彼が死した理由に地理に詳しくなく逃げ損なったといいますね。

なるほど平手の墓碑らしきものの建つ場所は浜松城を行き過ぎて南方に行った丘の上。

場所的には鴨江寺からの命名「浜松市中区鴨江町」と「中区東伊庭」の境界あたりになります。

厳密に「三方ヶ原」台地ではありませんね。

 

こちらは今は丘の上の住宅地と化していますがかつては稲葉(いなんば)山という山があったといい、それを開削して住宅地としたそう。今の地番の「東伊庭」はその「稲葉」からでしょうか。

 

地区の古老(昭和10年生まれくらいか)によればその「いなんば山」を削って大きなホテル建設に宅地化、そして石碑の下の空き地にはかつて小さな社殿があったものの今は取り壊されて草ぼうぼうの姿になったと(場所は⑧画像の隣 ⑨がその区画の端 up・downの様がわかります)。

 

いつごろかこの石碑が建てられて、時折手を合わせている者がいるが「バカじゃないか」と笑っていました。

墓は平手の縁者が尾張に持ち帰ったといいますので。

 

「なぜならこんな石碑は昔はここになかった あんたは一体何をしに来たのだ・・・」と逆に問い詰められてしまった思い出があります。

「コレは墓でも何でもナイ!!」と主張されていました。

ただ、昔は山の下に咳止めにご利益のある茶店があり(平手は喘息の持病があったといいます)、近隣には平手の墓守の家系の家が確かに存在していたとのこと。

まぁだいたいここいら辺りで平手監物が亡くなったのだろうな・・・の推測だけでも。

 

古老はこの石碑の眉唾を淡々と説明されたのですが、碑の表題の平手監物の名、「時秀」は確かに首を傾げるところ。