御鐘ノ台大堀切東堀南端からスグ三の丸外郭新堀土塁

昨日ブログでは「寺を追い出されないためにも日ごろから世話人・総代さんと親密にしておかなくてはならない」などと記しましたが、その件当たり前であるにしろ、そうであったとしても住職不在の寺に残された寺族、坊守は寺を出るというのがまず大抵のながれ(当流に於いては少々その感覚とは異なりますが・・・) 。

どんなに昵懇にしていたとしても。

 

法人の主体たる本山からすれば、末寺の「平常の態様」だけを思量しますので、末寺の住職不在はいわゆる異常事態。

そこで同様にその「異常」を現地にて体感している寺の世話人・総代を説得して「良策」の方向を探らせるのです。

良策とは新住職就任以外ありません。

師と弟子の繋がりの法の継承(血脈-けちみゃく)という形式となりますが、今は血縁継承者が不在の場合は「法の継承」とは言っても血縁ではありませんので他人様が寺に入ることになります。

 

その新住職にスンナリと入って来ていただくために前住職の家族にはスンナリ出て行っていただくよう折衝するのがその寺の世話人・総代方の仕事になります。

 

よって昵懇にしていればしているほど辛いことになるワケですね。

考えてみれば追い出される坊守さんも辛いでしょう。

他人様が自坊(庫裏は自宅・・・だった)にやってきて永く生活の場でもあった寺から「出て行って欲しい」とそれこそそれが「正義である」をもって説得されるのですから。

 

当流の場合、本山主導で新住職を末寺に据えるということは末寺からの依頼が無い限りまずはないことで、大抵が現場周辺寺院での解決待ちというところ。うまい納まりどころを承認していくわけです。

なぜならば「道場」末寺の管理者、今風に言えば寺院代表役員ですが、寺に付属する什器はじめ庫裏建物、土地の所有権の登記はその代表者にあります。

よって相続権者(坊守)が残っていてそれを「邪魔だ」と思った方がいたとしても、法的に対抗できるのです。

 

法灯継承も大切なことですが、まずは女性の権利も重んじたいというところ垣間見られるところです。

 

さて、昨日記した「小峯御鐘ノ台大堀切東堀」の南側、丘陵のトップ部分の図でしたが、西側はなだらかな台地上。

だからこそこちらに大きな空堀と土塁を設けたのでしょうが、南側は相模湾で、早川口。下部は私の母方の菩提寺高円寺上方の土塁(居神神社またはこちら)から始まりますが、その途中は開削されて住宅街。 

 

その上部「小峯御鐘ノ台大堀切東堀」から南に出た場所は相洋高校のグラウンド、その裏側といえば以前はアジアセンターなる建物があったエリア。

その森の中は私が小学生時代にクワガタ・カブトムシやクルミ採りに頻繁に訪れた場所でした。

そちらをこの数年前から発掘調査し整備したのが天正十年の秀吉の小田原攻め以前に構築された「新堀」の遺構。

「三の丸外郭新堀土塁」です(こちら)。

 

土日には行ったことがありませんが、平日の好天ならばこちらを独り占めできるはず。

昨日辺りからぐっと冷え込んできましたが、暖かそうなお日よりならば弁当持参で寛ぐのもヨシ。

 

⑩の木々の間から小田原城も見えます。

この下方は高校の施設に競輪場となりますが、よくよく考えれば

きっとそれらの建築時にはロクな発掘調査も行われていないでしょうし壊されたモノはともかく、地下には遺構がまだまだ残っていることでしょうね。

何せ小田原城総構のうち、かなり本丸近くになるワケですから。