女墓場のご近所 こんな重文あるよ~ 学習院の門

昨日の法事は北関東から横浜川崎千葉の参集がありました。

いずれの皆さまも遠方からですから午後2時からの開式。

しかし久しぶりにお寺で合流した皆さん方はそれぞれの思いからなかなか本堂に上がられず開式時間は遅れました。

私にはそれ以後の用事はありませんので遅延に関してはまったくOKですが、皆さんの事を考えると心配になってしまったのです。

私も知らない事ばかりでお話にのめり込んだ挙句解散時は日没間近になっていました。

 

昨日もお天気に恵まれて気温も高め。

外気より本堂内が3℃は低かったような。皆さんはそれでも心地よさげにされていました。

 

日没後に奥方が近隣の店に納豆を仕入れに行くというので私も散歩がてらに同行しました。勿論半袖ポロシャツにモンペの出で立ちで真夏のそれと同じ。

私は店には入らず独りで帰宅しました。

日曜以降雨とともに冷え込むとの予報がありますが、まだまだ平チャラの態。相良は特に温暖、有難いことです。

 

さて、法要参加者についていろいろな職業の方がいらっしゃることは当然のこと。

聞いて回っているわけではありませんので、なかなかそれが判明することはありませんが、特にいつも思うことといえば、私と同じような立場の方が向こう側に鎮座されているとして「私の法事」についての評価を聞いてみたいものだ・・・です。

常に「見られている」という緊張感の維持はこれから年齢を重ねてから特に大切になりますが昨日は「実は娘の婿はキリスト教会の神父です」という方がいらっしゃいました。その方も同座されていましたので「仏教施設での法要は苦痛だったのでは?」と聞いてしまいました。

まぁその手の質問に対してネガティブ評価はされるはずもなく。

すでに法要は終了していましたので、私が法話で何を話したか一瞬心配になりましたが「お下劣な仏教徒」を推すものではなかったとひと安心。

その方は「キリスト教と真宗は似ていますね」と仰っていました。

よって私も神父さんのお説教を聞いてみたい・・・と思った次第。

神父という職を勧められましたが(リップサービス・・・) 、それを奥方に言うと噴出されました。

真面目風の眼鏡をかけて・・・C・イーストウッドの「サンダーボルト」の冒頭シーンをついつい思い出してしまいます。 

 

先日は首都圏の某葬祭業の方とお会いしましたが、お説教、いわゆる法話です、葬儀後にその法話や挨拶の類が一切しないという僧侶もいて時に怪しさを思うとのこと。

ささっとお経を読んですっと退場というのは「やはり・・・」だそうです。

 

心配になって息子にその件「どうだ」と聞けば彼は法話の時間をしっかり取っているようで一安心。内容はともかくとして・・・

また息子が言っていましたが都会にはお坊さんの派遣業があってお気軽に坊さんをチャーターできるそう。

それが一部「ホントに坊さんなの?」という人もいるそうで、「こりゃ面白い」とばかりに聞きいってしまいました。

 

まぁその件、それは私がいつも他人様から訝しい目で見られていることですので他者の事をどうこう言えませんが。

だからこそそのイメージをひっくり返そうと懸命に集中して納得してもらえる法要の勤修を心がけるのですが・・・

 

ただし息子が言うには「お経からその法要の流れまで」すべてにおいて胡散臭さバッチリ溢れる坊さん風の衣帯もいるのだとのこと。

彼も相当(海千山千)の場で揉まれているのですね。

あちらのホールは同時間帯開催ができる大きなハコ。複数の坊さんが行き交い時に読経まで聞こえてきます。

田舎ではその手の件、感じることはありませんからね。

頭を丸めているだけで坊主であると連想することは仕方ないにしろ、ホンモノは教師資格を取得してそれなりの修練と経験があるはず。そこを法話で以って疑いを晴らしていくのですが。

 

昨日の荒川十太夫の「ご心配なく」ではありませんが、「私は坊

主です」の資格詐称があったとしてそれがまかり通っているのならイケないことですね。

最近は初対面のお坊さんからもらった名刺に記載がある法人の住所を「ググって確認」 (前述の葬儀社)。

お坊さん便でチャーターした施主も住所確認をする傾向が強くなっているよう。

グーグルマップで検索したら「 (寺ではなく)普通の家だった」など・・・都会ではよくある話だそう。そこからクレームになる例も増えていると聞きます。

依頼者としては坊さんといえば寺からやって来ると思うのは無理のないことでしょうからね。

 

画像はいつもの「女墓場放浪記」のメールに添付されていたもの。

自宅から仕事先の通勤途中に「こんな重文あったよ~」。

「キューポラのある町」で作られたのでした。