本多忠勝と徳川十六神将図絵 浜松市博物館

拙寺報恩講に、ちゃちゃっと顔を出してさっさっと横浜に帰った息子でしたが、御時節がら、韓国で大勢の死者を出していた、私の如く者にはまったく理解不能のバカ騒ぎとしか思えないアレ・・・(亡くなった人たちには失礼でしょうが)私のギモンの第一、彼にそれをぶつけてみました。

「お前さん(あるいは友人)はそれってどう思う・・・行くのか? 」でした。

すると「アホらしい」。

「興味なし・・・くだらぬことを聞いて切れるな!!」の如く風に吐き捨てられました。

若い連中一律にアレに向かうワケではないということ、彼と彼の友人たちが少なくとも私の考えと反対方向に向かっていないこと、大混雑は勿論ちょっとした人混みと聞くだけで忌避する性質がそのまま受け継がれているようで少々の安心を得ました。

、元々私と同じ間抜けでそそっかしい性質(タチ)ですから、浮かれて流されることなくより慎重に生きて欲しいというのが親心。

よって基本は「無茶をやるな!」です。

自分にその気がなくとも「流される」ことはいかにもつまらないこと。

 

インドの吊り橋崩落事故もそうですが、集団の中の一部のちょっとした短慮をきっかけに発生した波動はしばしば不制御な動きとなって取り返しがつかない結末を迎えるものなのです。

やはり集団心理の中に揉まれるその大混雑に身を委ねることは忌避したい。浮かれた気持ちも排除して。

死者たちに向って「それに参加しなければ良かったのに」とは誰もが思うことですが、当人たちにとってはそれを最善の選択であるとの気軽があったのですから仕方なし。

 

そういった気楽で安易な可否判断、タイミングが生死を分けることはこの世を歩いていて頻繁に見かけます。

やはり世は無常の娑婆世界、堪忍土であることを忘れるべからず。

人の道は真っすぐでなく穴ボコだらけ、壁だらけ沼地だらけ。

それを目を瞑って歩いているのと同じ。まず落ちる。

私の無茶は・・・もう、どうでもよろしいことですが。

 

さて、戦国期に大いに無茶をやってうまいこと青春時代を送った武将が本多忠勝。

家康の武闘派武将として数々の戦闘に参加し、後世その家康出世ストーリーには切っても切れない人。

特に現代ではその無骨な戦闘マシーンを思わすあの風体が好まれているようです。

 

①~③は先般の浜松市博物館にて。④が岡崎城公園の図。

奥方は③徳川十六神将図に何故にして「成瀬正義はいないのだ」と不審を。

私は、この図は江戸幕府開府までの功労者の意味あいが強いもので藤蔵は三方ヶ原で早々に亡くなっていること、家康には評価が高かったものの、個人プレーや無茶をやらかすことが多くて案外周囲からは迷惑な人だったのかも・・・と。

納得してもらいました。

 

①の図が著名。

黒糸威の鎧、兜は獅子噛前立。鹿角の脇立、肩から襷状に大念珠。右手に白毛の采配(バックが白のため見にくい・・・) 。

②は本多忠勝曾孫の本多政長の具足(紫糸素懸威縫延二枚胴具足)。