抜け駆けの禁止 泣いて馬謖を切る 

昨日のニュースで久々、滅多に聞かないような語の引用を耳にしました。

「泣いて馬謖を切る」でした。

 

家康も自軍の規律を制するために特に戒めていたのが「先陣争いの禁止」です。

「一番槍」「一番首」は評価高く称えられたものでした。

ところが統率重視の大量動員の合戦となると規律の緩みというものが致命的敗北に繋がることをよく心得ていたということです。

 

それでも「抜け駆け」する者があったものです。

戦闘に於いて将にその先陣を切ることは超ポジティブで如何にも勇壮。そして以前の局地戦に於いては名誉なことではありました。しかしながら、大局を占うような戦闘をデタラメに「我先に」の勢いで斬りこんでいったとすれば軍略も念入りに立てた組織としての作戦も無くなりトップの命も危うくなってしまいます。

よってその「抜け駆け」に関しては軍令として特に厳しく言いつけていたものです。

まぁ家康も人の子、状況次第で許したり許さなかったりだったようなところも見受けられますが・・・

 

軍令規律を破ることに関してたとえ戦いに勝利したとしても何らかの制裁を科さなければ大将たる者の示しがつきません。

そしてその戦闘で大敗したとなれば、「怒り」というもあって「敗因」となったその行為に対して、また他の部下たちへの見せしめの意含めて「切る」のです。諸葛亮が大敗に対して軍令違反があった馬謖を切って部下たちに詫び、そして「泣いた」というのがその引用先。

 

ところがですよ、あのソウルのバカ騒ぎの事故の件、あちらの国の警察の偉い方が記者会見でその故事からそれを引用したところを視聴。それには違和感大ありでした。

私の感じたのは「切られるのはお前さんでは?・・・」でした。

使い方も間違っているのでは・・・どうでもイイことですがね。

 

さて、先日は浜松市博物館⑧をうろついて来たのでしたが、現在開催中のもの他、私の趣向に合ったものを少々。

 

しかし、たつの市に行田市・・・なかなか行き辛い。

浜松城近くの美術館に小和田先生の講演会場はお気軽です。

ただしどうしても日頃0円~500円程度に慣れている身ですから・・・