持前の通り 神は舞い降りた② 山中八幡宮大楠

先日は榛原病院にて待ち合わせして、叔母の整形外科定期健診に同行したわけですが、おかげさまで現状良い方向には動いています。

何せ先日は米寿のお祝いが届くほどで、年齢的にいって何時その「電池」が切れても不思議がありませんお年頃てすからね。

 

治療箇所の予後快癒傾向は勿論、テーマだった「お頭の具合」はハッキリスッキリ。聴力の衰えもありませんから受け答えもバッチリ。

 

一人暮らしの際はありとあらゆるボケをかまして、私どもを慌てさせましたから、今回の半年ぶりの面談で知った叔母の健常振りには余程施設とのマッチングが良いのか驚きしかありませんでした。

「家はどう?」と逆に問われた時はさすがに焦りましたが・・・。

まさか解体更地にしたとはいえず、いつものウソを並べましたが。はい、私は地獄行き。

 

あの時は好天に恵まれたため、検診終了後に病院ロータリーの花壇近くで叔母に日光浴をしてもらいましたが、ちょうど咲いていた花たち三種について「コレ何?」とばかりに質問すると、これはケイトウ、これはヒガンバナ、これはコスモス・・・とばかりに全て正解。感心していると「100まで生きられるかな?」と上機嫌でした。

その様子、何かが「降臨」したか(昨日)の如く。

100に到達してもまったく不思議はナイくらい。大腿骨にチタンが入っている以外はすべてが健康そのもの、以前から「病気なんかしたことがない」というのが口癖でしたが、それこそ真似のできないスゴイことです。

 

命の事はまったくわかりませんが、叔母がその100に到達するまであと12年。その間にあの人もこの人も、ひょっとして私も・・・という具合に叔母より先に逝くことになるかも知れません。

まぁ「『持ち前の通り』に死んでいけばいいだけ』ですがね(因幡の源佐→ ウイキペディア)。

 

さて、岡崎舞木のその字の如く降臨した神は大木に姿を変えたかと思わせるのが昨日の順念寺の西、山中八幡宮の大楠です(場所はこちら)。

古いもの、デカイものに「ヤマ-カミ」は宿るのでしょう。

時にはかり知れない怨念にもそれは・・・

 

①を振り返ると⑤の長閑な景色。中央に順念寺が見えます。