台風14号の昨晩辺りの勢力が910hP。
私がかつて沖縄で体験した915hPより上、要は「電信柱が折れ、船が陸に打ち上げられる」ヤツです。
その勢力を維持したまま九州から本州を縦断するということになれば大惨事をもたらすこと間違いなし。
予報が外れたらそれはそれでヨシですよ。
しかし「今度のヤツは手強い、甘く見たらヤラれる」を念頭に、早め早めに動いて安全を確保していただきたいものです。
私の方はといえば、コース的に外れそう、陸の上を進むので勢力は落ちるに決まっている・・・と見てはいますが、昨日記した通り、鉢植えの避難を行いました。
様子を見て本堂雨戸を閉めていこうと思っています。
あの半分朽ちかけた会館を撤去して更地にしたことで相当気がラクになっています。
さて、久々に相良の偉人、善政の代官、小島蕉園について。
昭和二十六年の山本楽山による「新訳蕉園渉筆」をペラペラっと捲っていて蕉園の私生活と人柄がうかがえる文字が目に留まりました。
蕉園渉筆153「一閑事」(抜粋)から
「官舎四壁之地 尽闢圃
種蔬菜 逐時蕃殖
寒厨已富 以分下僚 防民苞苴」 のところです。
官舎四壁之地は 尽く圃を闢き
蔬菜を種え 時を逐って蕃殖す
寒厨にも已富む 以て下僚に分ち 民の苞苴を防ぐ
屋敷の周囲、外壁の内側には畑。野菜を植えて収穫していたようですね。今ではそう珍しいことではありませんが、蕉園は相良に赴任した代官様ですからね。
興味深いのが「寒厨」の表現と「苞苴(ほうしょ)」の語。
食べるものがあまり多くはない時代で贅沢な献立など考えられませんが「台所に食材が揃わない」如くのような表現「寒厨」には驚きです。
現代は食べるものだらけですからね。
しかし蕉園の台所は「寒厨」にはならずそれは野菜が豊富にあったということ。庭の畑で野菜の収穫があったからですね。
そこで蕉園の地方の行政官トップの心構え、性格として特筆すべきと思うところが
「以て下僚に分ち 民の苞苴を防ぐ」です。
部下たちにその収穫を分け与えたということと苞苴の件。
苞苴はそもそも藁などを束ね、その中に魚や果物などの食品を包むことですが転じて贈答品。
それを防ぐとは民の気遣い、忖度、贈り物、要は賄賂を貰わないということ。
現在のお国の役人といえば苞苴(そこでは包みの中にはカネ)大好き、いつでも「頂戴な」の感覚かと。
蕉園こそ正真正銘の政(まつりごと)を行った見倣わなくてはならない人格者でした。
①は夕刻前の小堤山から。
予報では「雨に変わる」でしたが・・・青空も顔を出していました。
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