拙寺の時太鼓 横須賀藩西尾忠移を迂回して寄贈

昨日は当牧之原市が全国ニュースで何度も取り上げられていました。

1件は将棋の件。

あの青年棋士のおやつだ昼食だの件でいたってお気楽なニュース。

そしてあと一つはその真逆、幼稚園児の送迎バスでの痛ましい死亡事案でした。

まったく気の毒なことで関係者ならずとも市民一同いたたまれない気持ちでいっぱいでしょう。

 

日頃、私は「人間はミスを犯すものである」というのが持論で常時「間抜けな私」との対立があって冷や冷やすることばかりですが、あそこは特に念には念をいれるべき大層な責任の伴う場所です。

 

がっかりですが記すことにします。

その件、やはり漫然とした管理による「大丈夫」の風を想像してしまいます。

かつて同様の事案がやはりありました。

同じことを繰り返すことを見せつけられて思うことは、私たち人間の組織とそのシステム、その心(「私に限っては大丈夫・・・」)というものを今一度疑ってかかるべきかと思うのでした。

 

そして「私の生死」の件と同時に「いつ何時、他者の命を奪うか」もわからないということも。

きっと、それら「まさかの坂」は身近であって気づきにくい所に転がっているはずです。

なにより同時にまたこれまで、うまいこと生かされて何気なく過ごしてきたきたことの有難さに気づくべきですね。

それがまた「幸せ」であることを。

 

ちなみに話が大きく飛びます。

今流行りもののインチキ、ペテン宗教ともなるとその「幸せ」とか「幸福」という字面をやたらと使いたがるものです。

釣りのエサにするかの如くに乱発します。

本当の「仕合わせ」とは「通常なる今の継続」であって上を望みそこに達することではナイのですが。

決して権威とか蓄財を求めて、それを成就することなどではありません。

只今の私の平穏無事健勝を歓び・・・そしてその時、ことごとは「まかせる」というスタンスが大事なのですが。

 

まず「幸」という文字を旗印に何かを勧める者を承認してはイケないというのが鉄則ですよ。

承認しない・・・信じてはイケないということです。

その語はそれを吐く人間の質を表すヒントになります。

まず一番に疑ってかかることそこにピンとくるということ。

 

また、反意のネガティブ用語(悪魔 サタン)を使いたがるのも稚拙な誘導でいわゆる漫画チック。

どうかその手の幼稚なトリックに引っかからないでいただきたい。みなさんそのことになると何故か真面目過ぎなのです。

まぁ私から言わせれば無宗教感覚が隙というものを作ったとしか言いようがありませんが。

 

さて、拙寺本堂の梁に無意味に吊るされた太鼓の件。

時折参拝者がジャンプして手で叩く程度でその使用は未だかつてありません。その目的もナシ。

 

太鼓の革を張り替えろ(緩んで音が悪い・・・)などと時に言われますが、それを仕立てる意味というものがまったくありません。

ただし、太鼓にはその中に、大工の名や所縁の裏書などがあるものですからそれを見てみたいといえば見てみたい。

予算がありませんのでそれは着手せず、これまで通り吊り下げたまま「叩いてみたい」という小さい子がいたらキンを叩く撥を貸し与えて打たせてあげるくらいです。

 

この太鼓は拙寺の太子堂跡の件記された書面(そちらの画像②)にも触れていました。

「西尾隠岐守」とあります。

その人が横須賀藩の4代藩主西尾忠移(ただゆき)、妻は田沼意次の娘です。

 

意次失脚後、義理父の城、相良城の破却を命じられますが、松平定信の厳命が、「材は相良以外の地で処分すべし」でした。

相良城の時太鼓を横須賀藩が一旦回収し、後日(おそらく松平の老中失脚後か)拙寺に寄贈したという経緯があります。

横須賀に置くよりも相良に戻すこと、それが西尾忠移の意向だったのでしょう。元通り・・・それが太鼓にとっての仕合わせ。

 

相良では太鼓と言えばお菓子(最中)にもなっている「陣太鼓」が般若寺にありますが、うまいこと元の相良に戻れたという奇特の件勘案すると、この太鼓にはかねてスポットライトは当たったことがありませんが、その辿った歴史は案外特筆すべきところかと思います。

 

しかし、あの太鼓がどのくらいの重量なのかはわかりませんが、下ろしたり上げたりすることの面倒くささ、考えるだけでもイヤになります。

そして太鼓を縛り付けてあるあのロープと金具の耐力についても不安です。

その真下で皆さんが寛いでいますので。

もし落ちたら太鼓も割れそう。

誰だよ、あそこに吊るしたのは・・・