「軽症だから通常通り」のお気楽気分とはいいながら7月に入ってコロナが原因で亡くなった人は1000人を超えているとのこと。
「軽い」とはいえ感染者が爆発的に増えていることから亡くなる人が増えているということなのですが、「経済、経済」の大合唱のもと政府はコロナ感染には何もアナウンスなし。
地方にまかせるのスタンスでダンマリを決め込んでいますが
27日のWHOの報告によれば「新規感染者は日本が世界最多」との哀れ。
「1週間当たり約97万人」のダントツでした。
以前と言えばコロナ感染とその対応について「日本はスバラシイ」と世界からお褒めの言葉を頂いていて、かつ日本政府も日本人も「どんなもんだい」のドヤ顔であったわけですから、何とも華々しい逆転現象です。
経済界からイケイケドンドンと尻腰を押されて、おっかなびっくり海外の真似ごと、「開国」してからの緩和政策だったのですがまさにそれらがもたらした人災にも思えます。
死ななくてもよかった人たちがたくさんいたのですから。
検査キットも厚労省は「28日以降に」全国に配布するとは言っていましたが配送業者をどうするか「決めていない」の着手未定のマヌケぶり。
後手後手マシーンの厚労省。
先日は軽症者用の国産錠剤の承認を却下して以来の爆発感染者数です。バカ丸出しの躰。
何もできない・・・無能集団なのか?
この危機的状況は政府が作ったのと同じ。すべてが甘い認識と緩慢さと自己保身の上にありますね。
ひょっとして近いうちに全国で「一日100万人」などがあったりして・・・。
東京の友人「女墓場」は自宅に籠りっきりで「どこにも行けない」とのこと。
マックのドライブスルーを重宝に使っているよう。
「体にいいわけないが旨い!!」と話していました。
それを聞いて昨日は私どもも・・・ポテトは揚げたてが旨い・・・などと。体には最低であることは承知、悔やみつつです。
横浜の「奥の墓道」氏は39℃オーバーで自宅待機になっている友人があるとのこと。彼は一応イベルメクチンは持っています。
当地でも色々と噂はありますね。
あそこの家は「きっと子供からだね・・・」などなど。
子供と年配者が居る三世代家庭など頭が痛いことでしょう。
都内で発熱外来の窓口の行列の様子をモニターから見ます。
それを見ていてやれやれ・・同情します。
「あそこに並ぶくらいなら寝ていた方がマシ」と思ってしまいますがきっと陽性の証明をもらわなくてはならない立場の方たちでしょう。
私どもの場合はネガ・ポジの判定に意味がありませんので体調変調につき「何もすることはナシ」と心得ています。
わざわざ自分から面倒なことに巻き込まれる必要はありませんからね。
国のやり方通りにのっとっていたら殺されそう。
いや殺される・・・。
ただ当地の医院で行列になることなど聞いたことはありませんしそれは田舎の良さですね。
さて、私のイチオシ東岡崎の威風堂々、若き日の家康像のデッキ(昨日)を乙川方向から南方向を見やると名鉄の踏切と六所神社の鳥居が目に入ります(場所はこちら)。
現在の岡崎城の「前身である」とはいうものの早い段階でその中心地は移動してしまっていますので近年までは放置状態であったのが此の地。
よって掘ればイキナリ戦国時代の遺構が出てくるというのも頷けるところです。
今更それを言っても詮なきことではありますが、東岡崎駅舎と電車道、そして周辺繁華街開発がこの「旧岡崎城」の面影を完全に無きものにしてしまったということなのでしょう。
ビル建設ともなれば地下深くまで掘削、岩盤まで支柱を打ち込むなどしますから・・・
またあの業界は「何か出てきた」としても「知らぬ存ぜぬの風」を決め込むことは暗黙といいますし(工事遅延の要因・・・)。
その当時のこの地の中心「明大寺城」の主郭は・・・と思うのが現在の六所神社でしょうね。
湾曲して流れる乙川の流れを北側にし、大きく俯瞰すればその流れは今の流れではありますが東西にも大外堀として機能する感。単立段丘がそれ(下図)です。
そちらに家康の祖父松平清康が松平郷の六所神社の勧請を受けて建てた神社になります。
⑤踏切を超えて振り返ると家康が・・・
⑧ピンボケ失礼。最近よくやらかします。オートフォーカスを待てずに(いや確認せず)シャッターを押すアホ。
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