加藤嘉明生誕地の碑の存在 上永良神明社

朝から溜まっていたアロハシャツのアイロン作業。

断捨離できない私、30年以上も前の生地が擦り減ったシャツにアイロンがけをしていると奥方に「いい加減に捨てなさい」と。

それがなかなか捨てられない・・・成瀬藤蔵の悋嗇ではありませんがそれらは「外で思いっきりフラつく」ことの代名詞でした。

それへの希望と達成できないフラストレーションからなのですが奥方のさらなる「それだけ大量のシャツを何時着るのだ・・・」と単純なギモンをぶつけられてまったく反論できず。

「どこかで野垂れ死んだら棺桶にでも突っ込んでくれ・・・」

 

昼過ぎからは松の剪定を。これから3本+盆栽、少しずつやっていくつもりです。

「炎天下には蚊の襲来はない」を信じ、尚且つ蚊取り線香2つを点けで仕事にかかりましたが蚊も必死の様、ボコボコにされてへろへろ、30分で逃げ帰りました。

 

棺桶で思い出しましたが葬祭屋さんの提供する棺桶の価格はピンキリですね。

たった1日~2日納まるだけの箱に数十万円の値段のものもあったりします。

施主が短い時間の中で決めなくてはならないものの一つです。リストを提示されて選ぶのですが何故か1番安価のものは出ないようです。

中には「皆さんどのくらいのものを・・・」などとと担当のアドバイスを求める方もいたり。

当然「中の下」あたりの推奨をするのですが、それで「お願いします・・・」。どちらでも経験があることでしょうが皆さん結構に見栄ッぱり・・・。

私など自分で作った厚さ12mmのコンパネでOKなのですがね。

やはりわたしは悋嗇か・・・。

 

先日はそのコンパネで作った棺に入って遊んだことを記しましたが、またその中に敷く「畳」状の敷物にオプション設定があることを初めて知りました。

「それは何で?」と聞けば畳の上で死ねなかった故人のために「せめて・・・」という具合にそれを棺の底に敷くようです。

そういえばどちらでも自宅で看取られるという機会は激減していますからね。

そうであってもそれも私には不要かと。

 

さて、先日は三浦姓を記すにあたって誓願寺の三浦雅楽之助墓石の件引っ張ってきましたが、こちら誓願時といえば片桐且元の墓ですね。 

 

片桐且元といえば一言で「賤ヶ岳の七本槍」。

そこでやはり七本槍の一人である加藤嘉明を思い出して無理やり加藤姓云々などと昨日記したのでしたがこの三河には加藤嘉明三河出生、いわゆる元は三河武士だという伝承があります。

その加藤嘉明は父親とともに三河一向一揆では一揆方として戦

って敗北後、三河を脱出してからの秀吉配下。

真宗の南無阿弥陀仏は繋がって亡骸は麻布善福寺で火葬、遺骨は大谷祖廟のコース。

 

伝承というのは寛政譜にそれらしき記述(昨日記した加藤正成を

辿る)が見当たらないからですが、こちら西尾の上永良神明社には彼の生誕の石碑が建っています。おそらく加藤家の城塞に準じた館があったのかも知れません。

 

場所は矢作川・古矢作川が形成した湿地帯、安藤川と広田川の間の地、広田川の畔になります(場所はこちら)。

こういった場所、少なからず堀と水運(防御と利便)を期待して館を川に隣接させることは多々ありますね。

 

最後の画像は近くの祠にあった馬頭観音。