姫路近く、たつのからの突然のお客様

驚いたこと嬉しかったことたくさん。

驚かされたことその①はあの感染再爆発の様(コレは予想通り)、京都祇園祭の「復活」を放映していたNHK番組。スゴイ人が集まっていました。

準備が念入りだけに突然の状況変化に「やっぱり中止」とは言いにくいのでしょう。

 

感染力が強い株と聞きます。こんな調子で賢いウィルスにお許しをいただけるのでしょうかね。

祭りの意趣は「疫病退散」、さぁどちらが勝つか・・・テレビモニターからは感染しませんので大口が叩けます。

 

それにしても「京都は雨が降っていないのかよ~」というのが私の第一声。

ここ相良は一日中大雨警報が出ていたような・・・

午前の法事、10時前頃の土砂降りは特に酷いものがありました。

しつこい降雨とその大量にはほとほと驚かされますが、まだまだ続きそう。もはやこの湿気には不快以外のものを感じません。水不足の解消?・・・「辟易」に変わっています。

 

一番に驚いたことは、午後からの来客です。

前日に電話があって「明日9時に姫路を出てそちらに向かうが住職は寺に在るか?」というものでした。

その旨奥方に伝えると「知っている人か?」・・・「いや、知らない方だ」と私が応えると「仕置き人による所在確認だね・・・」とニヤリ。大いに脅されました。

 

ここからはいつもの我が家の冗談。

そんなら「脇差を持って対面するか・・・」、「刀は左側に置くか、右側に置くか?」と奥方に問い返せば「いくらなんでも右手側だろ」(最初から喧嘩腰はイカン・・・)と。

 

というワケで玄関右手の長槍の掛かっている部屋の襖裏にそれを立てかけておきました。

 

かつて息子がそれを外に持ち出した時は冷や汗をかかされましたが・・・警察官の虫の居所によっては文房具のカッターでさえ検挙されるご時世ですからね。

以後厳重に管理しています。

 

そこへ現れたのが私よりあきらかに年上のご夫婦とその母親らしき御三名。

まったく失礼なお話で、刺客などではありませんでした。

映画の観すぎ・・・だいたいこんな小者にどんな恨みが・・・と奥方。

ただお参りに立ち寄って無量寿茶を所望されたということでした。拙寺のサイトを見て知ったようです。

 

途中酷い雨に見舞われたそうですが「ガソリンスタンドはどちらに・・・」とガス欠寸前だったよう。

何しろ姫路となるとちょっと気楽に・・・といった距離ではありませんからね。

 

「いつも姫路城が見られてイイですね・・・」と伺えば「城とは離れた西の「たつの市神岡町入野」という地からとのこと。

同じ真宗大谷派のご門徒でその方の菩提寺も紹介いただき其の地の冊子をお土産に頂戴しました。

 

司馬遼太郎の話からその中の「福田思想」に関しての問答はじめ「ただのご門徒とは思えない」(奥方)言葉の数々にお寺関係の方ではないかとも。ただし詮索なしで・・・

 

疑いの目で見がちの奥方は「拙寺住職がしっかりやっているのかその筋の査察かもね・・・」などと。

私は「いやいや如来さんがカタチを変えて・・・」と言い返しましたがそれなら尚更、シャレでも刃物を用意しておくなどとんでもない話です。反省することしきり。まったくのアホでした。

 

夜間は宝塚からの友人からの電話。たまたま昼夜とも兵庫県からなんて・・・偶然とはいえ驚き。

彼は「ワクチンなんか打ちませんよ」とのことでした。

理由は「キリがないから・・・」。

ちなみに彼は3回目も打っていないよう。

息子も同じことを言っていましたね。

 

画像は「山陽教区第2組」が出している「響流 こうる」の5月号。

その方の菩提寺が、たつの市神岡町の圓徳寺といいます。

そちらの住職、「藤元」の姓について元は「本多」を名のって家紋も立葵だったといいます。「藩主と喧嘩して苗字帯刀をはく奪された・・・」と込み入った話まで。

 

「藤」「元」といえばまず「藤原氏が元ですよ~」の姓ですの

でそんな経緯があるとは面白いこと。ちなみに拙寺2代目から始まった菊川西林寺→堀之内幼稚園園長先生の姓は「藤本」でした。「本は藤原」の元と本が違うだけ。

ちなみに龍野の初代藩主は忠勝系の本多政朝、忠勝の孫ですね。

少なからず相良藩(初代忠晴も忠勝のひ孫)と関係があったわけで。

 

歴史ある町で、いつかは私も歩いてみたい場所と思いました。

思いがけない出会いがあるかも知れません。昨日の私のように。

ありがたくまたうれしい一日でした。