以前、焼津市内のとあるホールでの通夜式のこと。
仏前経机脇に置かれた禅宗様式の「大鏧(ダイキン)」の威風堂々の姿に度肝を抜かされたことがあります。
頭をすっとよぎったのは①さすが焼津(真宗系寺院少なし)②平鏧を持参すればよかった・・・の後悔。
「郷に行けば郷に・・・」が基本ですが、正信偈の拝読に最適である平鏧はそれとは小さいとはいっても重量はなかなかのもの。
また「御文箱」は必携。それも2冊(三帖・五帖)携行。
法衣の納まる鞄からそれら一式を持ち込むのは一仕事になります。尚、御文箱についてはホールに設置されていたり、書面拝読のパターン(ハコなし)のお寺もあるようですが・・・
またホールに設置してあっても五帖の御文というのが定番ですからね。
その際はその平鏧(ひらきん)の持参をしなかったのでした。
いつもなら車の後部座席に置きっぱなしにしているものですが、何かのタイミングで庫裏に戻していました。
それをわかっていながら、どうにかなるだろう・・・の安直もありそのままでGO。小さめの鏧(ホールの)であれば違和感も少々で
しょうから。
ところが設置されていた鏧ときたら特別にデカイ代物。
開式前に打って響きを確認したくなりましたが、それはムリ、通夜式にてイキナリ実践した次第。
結論から言ってあの超重厚低音の響きは高音域の発声となる正信偈にはまったく合いませんでした。
阿弥陀経などで無理に低音で発生すればまだしも・・・
それを私が第一に実感したわけですが、参列者からどう感じたのか、それはわかりません。
ということで翌日の葬儀式には平鏧を持参、早速交換していただき葬儀式を済ませたのでした。
葬儀式場自体(ハコ)もスケールはデカく、当地の二大斎場とは違うもの。
JRの沿線、「都会」に近い人口多しの街ということでしょうが田舎坊主にとってはどれもこれも目を丸くするものばかり。
終始ドギマギさせられました。
逆に東京横浜辺りではやたらと小人数の、中には火葬場に併設された小ホールでの葬儀が主流になっていますのでこの大規模ホールの式がいつまで続くのやら・・・と思うところでもあります。
相良あたりでも徐々に規模が小さくなっているような気がしますが・・・。
さて昨年、堀野新田の了見寺の住職が亡くなったのですが、異例と感じたのは、その触れが皆無だったこと。
その訃報を知ったのが半年ほど経ってからのご家族(奥様)からの手紙でした。
拙寺同組の寺でその情報が拙寺に舞いこまないということは一瞬、拙寺(というか拙僧)がハブ(省く・・・)にされているかと思いましたが、他のお寺さんも「そのとき突然知った」とのことでした。
ちなみにその先代住職の葬儀式は組の坊さんやら総代、世話人やら檀家さんたちが大層に集まったものでした。勿論私も参列。
了見寺については以前ブログでも前々住の逝去の際、記していましたが(去年亡くなったのはその方の息子、堀了裕師)
拙寺の西方御前崎寄り、お隣の真宗寺院で古くからのお付き合いのあるお寺です。
拙寺檀家さんの中でも了見寺との付き合いをしている家があり、住職として就任されてから、「脇僧として了見寺さんを・・・」といったリクエストもあってかつて2回ほど葬儀式のお手伝いをしていただいたことがありました。
私よりも一回りほど年が上でしたが、先輩然の形をすることなく、おっとりして優しさあふれる方でした。
首を傾げたところが、前述の逝去の報せだったわけですが、あとからまた耳に入ったのが葬儀は地頭方の家族葬専用の小ホールで済ませたとのことでした。
私は愕然としましたが、「そんなのアリ?」と思わず聞き直していましたね。
坊さんともなれば自分の葬儀は慣れ親しんだ「我が本堂の阿弥陀如来の前」で・・・というところが最低限期待するところ。規模は小さくとも・・・
その現実を知って何とも気の毒な思いがしたのでした。
詳細は不明ですが、その件、奥様のご意思ではなく、「ある別の力」によって進められたことだそう。
「私の葬儀は本堂で・・・」と遺言書に記しておかなくてはダメか・・・当然のことと思っていましたが、亡くなってしまえば当人の差配は及ばぬところ。
小者の私でしたら、できることなら、ただただそれを仕切った人を彼岸からこちらにやって来て恨み倒そうとしますね。
画像は殆ど再掲。
コメントをお書きください