松平、徳川の世 スタートはこちら 郷敷城(松平城)

先日、一回の軽度な脳溢血を患った方で、リハビリ療養、退院後に自宅で転倒してさらなる重篤な状態に陥ってしまったという例を聞かされました。

 

その奥様は「独りで行動してはダメ」と強く言い聞かせていたといいますが。

やはり当人はリハビリの効果による回復傾向にあって、「少しくらい(散歩程度)なら・・・」という気持ちも出てきたというところ。むしろその前向きな気持ちは必要です。

 

そして奥様が外出から帰ると玄関で転倒し意識を失っている夫を発見、救急搬送を依頼したとのこと。

症例は「外傷性くも膜下出血」。

要は独りで外出しようとし玄関の段差で転び、その際、運悪く頭を強打してしまったということ。

外出といっても外の空気を吸う程度、リハビリの一環だったわけですが。

 

「リハビリ」とは昨日記した心の回復能力「レジリエンス」の肉体版で体力復元のためには絶対に不可欠な回復トレーニング。長丁場になることは必定、晴れて健常復活することを念願にひたすらその長期にわたる難門をこなしていく他はありません。

忍耐力がものを言うワケですが比較的女性の場合はうまく進み、男性が脱落するというのもよく聞く話。

男の弱さが際立っているような・・・

 

その件はともかくとして、その転倒は一言で不運なことだったとしか言いようがありませんが、医師や妻の忠告を厳格に守っていればそうはならなかったのでしょうね。

転倒して大腿骨等の骨折もあとあと困ることになりますが頭部の強打となれば即ち「死」に繋がってしまいます。

 

私が思うこと。

リハビリ、歩行訓練中はヘルメットの着用がベストかと。

リハビリ介助の方が傍らに居たとしても瞬時のフォローは不可能です。

(おそらく復元・復活に)「2度目はない」ということも・・・

「私は転ぶ、落ちる」を常日頃から頭の中に入れて置かなければならないでしょうね。

100%ミスをやらかすというのが人間(私)です。

 

さて、松平郷の「ハカ、テラ」について断片記してきましたが、本日は「シロ」について。

松平郷には松平親氏の手によると伝わる城があります。

松平親氏について、またこの城についての概略と復習はいつもの城郭大系の記述から。

 

「松平氏のこの地への入郷に関しては諸説があるが、応永年間(1394~1428)上野国新田郡世良田荘得河郷から徳阿弥と称する時宗の僧が来て、郷士松平太郎左衛門重信の婿となり、太郎左衛門親氏と名のったのが始まりという。そして重信の父在原信盛によって構えられた居館が、この松平城の起こりという。」

 

誰がこの城を構築したのかなどの確定要素はありませんが(地元看板は親氏)、その在原信盛から重信、親氏の代ということはだいたい推測できるところ。

城郭大系の記述の通り「在家の小土豪の居館」の「有事の備え」ですね。

通時の生活を送る屋敷とは別にたてこもりの要害必需の時代であったこと・・・戦闘態勢万全の姿がわかります。

 

松平家はこの山間部の城塞の主から周辺の諸領主たちを従えながら、あるいは呑み込んで徐々に東海道に近づき南下の途を辿ります。

三河、東海に紆余曲折ありながらも勢力を伸ばしていくのでした。