成せば成るの高慢 空中分解 意次通信19号が到着

遠州相良は午後に向かって晴れ間が広がりました。

GW初日は低気圧の通過があって土砂降りの予報があります。

よって貴重な晴れを過ごしました。

かといって連日の雨でコンディションは悪く境内作業等はパスしました。

先日の静波での墓参の際にちらりと見やった拙寺静波墓園の草ぼうぼうの様を見て、「早いとこやっつけたい」とは思ったもののまずは草刈り機の修理から。

それ以外にも境内作業は山ほどありますからね。

最近はそうムキになってやろうという気はもはや起こらず。

いつもの「勝手にしやがれ」の心境ではあります。

 

GWといえば息子は帰省しないことになっていますが、同じ横浜在住の「奥の墓道」氏から「今年は帰る」とメールがありました。

丁度実家の方で「法要を入れた」とのこと。

彼は横浜で4月30日に3回目の接種を受けてからこちらに来るといいますので私は「間に合わないね(免疫力が獲得できるまで)」そして「リスキー」と返信しておきました。

彼が来たら来たで久しぶりにバカっ話の一つもしたいものですし。

 

「リスク」といえばコロナに限らずいたるところに隠れているのですが、それを言っていたら何もできません。

しかし私たちはその小さなリスクの存在が大きな致命的リスクに発展することがあるということに気づいていませんね。

 

その小さなリスクは外を歩けば至る所に存在してるワケで、たとえば通常の生活から飛び出したりすれば無限にそれが広がるということです。

要は「臆病」に慎重に行動しなければイケないほど。

その「リスク」の想定はキリがないのでそれを気にしていたらまったく「何もできない」ことになりますが。

よって何か行動を起こす時はそのリスクと行動の中止との天秤を掛けるわけです。

拙寺のバス遠足を中止順延にするなどの判断はその「リスク」との兼ね合いからのものでした。

 

昨晩は岩合さんの「ネコ歩き」視聴のあとは続けて「世界大惨事大全」を。

サブタイトルが「人はなぜ失敗を繰り返すのか? エリート集団NASAを襲った悲劇」です。

2003年にスペースシャトル「コロンビア号」が地球への帰還中に大気圏内で空中分解して搭乗員7人が亡くなったという惨事の件(→ウィキ)。

 

その番組を見て「宇宙船にも遊覧船にも乗りたくない」と奥方が囁いていましたが、その番組の方向性は「小さなリスク(綻び)から大きなリスク(惨事)に繋がる」ことは歴史の中で多々あって、そこのところ微かと思える異常(大惨事へステップアップする最初のメッセージ)にどう対応し惨事に繋げないよう努力すべきかというものでした。

 

私たち殆どの人間は「NASAのお仕事」とは全く関係のない場で生活していますが、その「人の営み」「ある社会の一員」という括りの中、たとえ違った場面でも同じようにリスクと遭遇することは当然の事。

その「人間社会」の分析を進めた番組でした。

どちらの現場においても通じるものが・・・。

 

コロンビア号の惨事に対する組織内の「人間」の検証は徹底的になされています。

番組でとりあげられていたのは、まず「スケジュール」というものの存在。終始それに追われているということです。

その重要度はどちらにあっても厳しくありますからね。

 

それをあまりにも強く重視して、物事を進めていこうというスタンスがまず必ずといって組織にはあります。

すると少々の問題が発生したとしてもスケジュールに歪みやそれを誘因するような改善手段は回避しなくては・・・と思う流れができてしまうということ。

それが「問題の許容」ですね。

「このくらいなら大丈夫だろう」というヤツです。

 

一言で「安全の意識が低下」していく過程の端緒。

どなたでもスケジュール、予定があることで多少のマイナス要因を無視して物事を強行した覚えはあるはずですね。ただそれが致命的状況に陥ったかどうかの違い。

 

するとまた安全マニュアルがあったとしても「今回は微々たる問題である」と決めつけてしまうのですがそれが「基準違反するも、その正当化」へと発展するわけです。

一言で「ガバナンス」が効かないと言われる組織の劣悪ですがそれを改めていかないとますます「暴走」するものであると。

 

NASA組織内のヒエラルキー(組織内上部階層)の問題があったとも示唆されていましたが、「アメリカ人は案外とその組織内で忖度しまくるものである」との解釈は「へ~」と驚かされました。

上司の目を気にしての忖度は日本人の十八番(おはこ)と思っていましたから。

 

まぁお偉いさんが鎮座する組織はどちらにおいてもそんなものなのでしょうね。

忖度して上目使いで動かなくては出世はできないですから。

そこで出世して上層部に上がった人間というものは「ダメの烙印」が押された番組でもあったのでした。

 

よって組織の大好きな言葉「問題ない」に諫言できない体質が生まれ「途中で止める」とか「注意深く安全を確認してから」などとは言えない空気に埋没してしまうというもの。

 

そもそもスケジュール重視世界にいる組織の管理者は下からの意見には耳を貸しませんし視野が狭くなりがち。

「我々は難しい問題に対応してきた。これからも成せば成るのだ。」諫言に「何を憶病風(ネガティブな意見)に吹かれているんだ!!」・・・それが大失敗の元なのでした。

 

どんな意見、異見にも耳を貸すことは「専一」(「神君御文」より)です。聞き入ることの大事を主張していました。

耳の痛い「心地よくない」話(注進)にしっかり耳を傾けられるか・・・それが大失敗を犯さない秘訣です。

「驕り」こそ身を滅ぼすことも。

 

これを記している私自身もまた、耳に残る多くの言葉の数々、痛く感じます。結果、たまたま「今ある」だけ、仕合わせなことですが。

 

画像は昨日届いた意次通信19号。

私の知った顔ぶれの奮闘が垣間見られました。

そして「ネコ歩き」を凝視する我が家のネコ。

 

そのあともずっとそのチャンネルを視聴して一日終了。

「メタンハイドレート」に「三つ子の魂」と続きました。

後者では幼児の「指さし」の特異の件。

社会を築くための(コミュニケーション)第一歩なのですね。

知を共有、共感しようとする行動(情報を知らせる)ことに満足(報酬系の活性)しているということ。

 

ブログを記すということもそれ(指さし)と同じかも。

共有の件、人間の基本的行動であってきわめて幼稚な発想なのでしょうね。

 

また発達(神経細胞)の臨界期(シナプス刈り込み)-感受性期というものがあるようですが・・・難しいので録画しておきましたが。

 

いや私の「臨界」はまだまだ。

その終了過程を遅らせることもできるようです。

しかし私、得たもの次々と忘れていく・・・

やはり脳が破壊(ストレス)されていることか・・・とも思います。

しかしまたその破壊(脳梗塞などで)があるとその幼児性のシナプスがまた増えていくといいます。脳神経の活動の深さにその凄さを思いました。そして幼児教育の件も。

 

子供の脳を壊す(暴言・体罰・夫婦喧嘩により前頭前野が委縮と発達の障害)行動を慎むこと(マルトリートメント お説教は60秒まで)、親が心がけなくてはならないことのよう。

それを心に置きつつ家康の子育て極意を聞いていくべきですね。

ただし私の場合は何から何まで「遅い!!」の後悔の念。