オホーツク海のまだ所々雪が残っているような地の冷水に放り込まれることの恐ろしさよ・・・南無阿弥陀仏。
ほっこりとのんびりお湯に浸かりながら思ったことはそれでした。
その海の極度の冷たさを想像するに・・・まったく気の毒でなりません。
まず異常発生の第一報からの救助対応の「その時間差って何」ですね。適当な商売をやっている・・・の感。
私は若い頃、沖縄で小さな10人乗りくらいのボートでしたが遊覧船の如くの「なんちゃって船長」やジェットスキーの「インチキラクター」(インストラクターからの造語)の仕事をしたことがありますが、あの北海道の出鱈目遊覧の運営の「あり得なさ」と海に浸かり続ける体温の低下について痛いほどよく解ります。お客は大喜び、しかし常にリスクが付きまとうものばかり。
また同じ日に発生した蒲郡のリゾート施設での事故も「なるほど」と合点していました。
たとえば1回15分、当時お客さんの支払いは1名3000円くらいだったと思います。
繁忙期には1日20回以上の稼働となります。頭数の増えるボートでしたら会社の儲けは「ガッチリ」ですね。今回の北海海の遊覧船の料金は倍以上の様。
ただしあの沖縄の海(28℃以上)でさえ、海水と風に煽られているのは体が冷えるものです。
盛夏の候ならまだしも、天候不順ともなればお昼の従業員食道のエアコン18℃設定には閉口したものです。ガタガタ震えるほどでした。
それが今回事故の起こった海は2℃~5℃といいますので筆舌に尽くしがたい温度でしょう。
沖縄での寒さは「濡れて冷える」からですが北海道の海では殆ど氷水ですからね。それを想像しただけで気分が悪くなります。
やはりその手の「お遊戯」には事故が付き物です。
それは絶対に避けられないことと企業としては厚く保険を掛ける(コスト)わけですが、問題は天候と稼働可否の「人の判断」のレベルですね。
その件、大きな会社(当時の経営母体は全日空系のホテル)でしたからしっかりしていました。
システム的に現場主任が中止案内を機械的に出しますので「ダメなものはダメ」なのです。
しかし会社(経営者)としてはその中止判定に「遊んでいる従業員」を抱えていながらお客は取れないというジレンマが発生するわけです。
そんな時「だから水商売・・・」とは言ったものだ、などと思ったものですが、その判断こそが重大なポイントです。
「迷ったら中止」ですね。いい加減な儲け主義の経営者が陥るところ、ついつい「折角の稼ぎ時を無駄にできない」とイケイケドンドンになりがち。「中止」を宣告されたお客はガッカリしますがね。何も知らないお客は命を落とすことになるのです。
私の居た事務所では毎朝、天気図の解析と予報は確実に行っていました。
私が拙ブログでとやかく天気のことについて記すのはかつて海に出てその天候急変、波風の恐ろしさ、流れの恐ろしさ、雷の恐ろしさ、漂流の恐怖、座礁の恐怖、そしてミスを犯すであろう私自身への不審というものがベースにあってその自然がもたらす「不意」がいずれの不慮を誘引するものだと確信しているからです。
また蒲郡での事故は「人はミスを犯すモノ」(人為的ミス)以前
の問題です。経営側の企画の無茶さ加減。
あの急ハンドルによるスプレーショーですがあのタイプの道具でしたら半日も乗れば初心者でもカンタンにその手のお遊びはできること。
ただしそれは広い海限定。
周囲に障害物やヒトがいないことがお決まりのことなのです。
自身の起したひき波によって挙動が安定しないところにきて、あの狭い区域、アクセル全開のパフォーマンスですから。
(海の動力にブレーキはありませんので小型船の最たるアレはアクセルの強弱のみでコントロールします。よって周囲にスペースが必要なのです。)
ということで客の目の前での「ショータイム」は企画自体の無謀以外何物でもありません。
ハッキリ言って無謀を越してその会社がおバカですね。
あの会社の母体は大企業のはず。
やはり別件、色々あった会社ですからなるほどとここでも合点。
しかしまぁ、あの巨体の突進で死人が出なかったことだけは何とラッキーな・・・。
「ダメなものはダメ」と言いつつ「少しだけだから」と自分にだけは甘いという私がここにいますが。
他人のおバカは特によく見えてくるもので。
それを見ながら我が身の「足りなさ」を修正できればヨシとしましょう。
ただし自分のそれを他人様に曝すというのは「みてござる」とはいうものの痛く恥ずかしいものですね。
「足りない」と言えば、特にブログなどを記していると後になってから誤字脱字が発覚して「アホだった」などよくあること。
昨日その「誤字脱字だけは(恥ずかしいので)気を付けたい」との会話が某方とありました。
そして「そういえば・・・」とアレ(文芸まきのはら)の特別寄稿の主題の件を指摘されていました。
「へ~え」という具合に見返してみればなるほどでした。
意次侯の「侯」が諸侯の「侯」ではなくて天候の「候」と「足りない」どころか、1本余計な棒が入っていました。
きっと今頃、小澤氏は気づいていると思いますが、校正ミスに地団太を踏んでいることでしょう。
私もまったく気づきませんでした。
教育委員会が「恥ずかしい」のかも知れませんがすべて手遅れ。書籍のトップバッター記事の冒頭でした。
まぁいずれにしろそればっかりは他人様のことを笑えません。
さて、長島の最北端。
「船頭平閘門」(せんどうひらこうもん 重要文化財)なる工作
物のある公園があります。
なお私は「閘門」なる名称をここで知ったのでした。
それは明治の三川分流の工事の付随工事の件。
これまで網の目のようにあった水流を三大河(木曽・長良・揖斐)にキッチリと分ける工事でもあったのですがそうなるとこれまで盛んだった海運業が成り立たなくなってしまいます。
横の動きができなくなる不便が発生するわけでそこに「閘門」を設置したというもの。
本場オランダから技師を招いての構築だったそうですがその技師は日本の川を見て(オランダのゆったりした川の流れと比べて)「滝の如し」と言ったとか。
川には「渡し」があって市が発達。
品物の流れが頻繁になり、また稲田の生育に不可欠な水について流域はその取り合いの必要もなし。他所ではしばしば争いの元になりました。
そういった超が付くほどのメリットの反面、水害からは逃れることができないというのがこういった地。
しかしこれほどに水害と闘った歴史のある地はそうはないのでは・・・
やはりこちらにはそれを巡る観光船が出ています(令和4年3月
19日(土)から11月13日(日) 、土日祝日のみ運航 完全予約制)。愛西市観光協会サイト。
コメントをお書きください