岡崎城 持仏堂曲輪と本丸腰巻石垣

朝から小雨ということもあって本堂は思わず冷えました。

先日仕舞ったばかり、と言っても本堂片隅に追いやっていたストーブを再び中央に引っ張り出しました。

「ありがたい」の声があがっていましたが、夏日が続いた後のこの冷え込みは痺れます。

 

まぁ2、3月頃の寒さから比べれば文句など言えませんが。

いずれ、「暑くて暑くてたまったものじゃあない」のボヤキが出てくることはわかっていますし。

 

法事が終わって午後からは史料館にて定例会がありましたので向かいました。

本通りが何かの「撮影」ということで完全通行止めになっていました。

雨中、たくさんのスタッフにエキストラでしょう、ご苦労なことで・・・非協力という気持ちにはありませんが、一言で不便このうえなし。

私の場合は通行に障りがあるくらいで迂回すればいいだけですが多くの店舗は開店休業になりましょう。

 

何の撮影なのか「知らない」、というのは私にその興味が無いこと、また知る必要もないですからね

私の興味といえばいわずもがな「ハカ・テラ・シロ」(勝手にしろ~奥方)ですからね。まぁ人それぞれ。

 

最近の私のその趣向、地域的傾向はといえば「三河」になりました。

関西地区、近江・越前・美濃も大いに楽しく未知なる場所も多々ありますが当家累代とその関りはその中心、三河にあって、また三河の真宗門徒発祥、矢作川流域を中心にその「ハカ・テラ・シロ」

は殆ど手を付けるのも恐ろしいくらい膨大な数に上がります。

そして何しろ当地からそう遠くない距離がイイ。

また来年の大河ドラマは「三河」が中心になりそうですからね。

 

その三河に関してブログにあげる頻度は今年になって高くなっているわけですがやはりその地を代表する地と言えば矢作川。その東岸の岡崎は戦国期を代表する町に他なりません。

その「中心」は昨日ブログで「両町」とは記しましたがそれは現在の役所のある街区、少々遡って田中吉政の整備からの「中心」です。

それ以前のド真ん中といえば岡崎城。

城主の居住する政の中心ですからね。

 

その岡崎城の浄瑠璃姫関りの遺構、持仏堂などは当然ながらその岡崎城築城以前のことでした。

特異なのはその持仏堂が移動したあと、その地の名として「持仏堂曲輪」という名称をもってその歴史の尊重があって「遺した」ということですね。