勝間田公園にミツバツツジを見に行く

一夜経って奥方の手の腫れは引き、徐々にその動きを取り戻していました。

そう大騒ぎすることではない・・・などと言いたくなりますがその本意を漏らせば険悪な雰囲気となることは必定。

一言「それは良かった・・・」。

 

昨日のお参りに来られた方にその石垣移動の件、私が軽トラの荷台のそのブツたちを指さしながら説明、旦那さんに「奥様はその手のお手伝いをしてくれますか?」と振ったりしましたが、お二人とも笑っているだけでした。無茶な問いかけでした。

 

まぁ今回は運よく骨折までには至らなかったにしろ、奥方は私の手伝いで幾度か痛い思いをしていて、そういう時は必ずといってその蓄積した「痛烈」の記憶と恨みの語り場となります。

よって私も少々耳が痛いものがありますが、考えてみれば私の無茶な仕事をよくフォローしてくれています。

 

拙ブログでも以前記していたと思いますがその「強い女」は30年以上前のこと、やはりあの軽トラ荷台(最後の画像)に見えている私の手製「重量物移動セット」で足の親指の爪の全部をペロっという具合に剥がしていますがその際はさすがに泣き叫んでいましたね。

その時も私が力任せに押したために足が逃げ遅れたようでした。今となっては爆笑の事件ですが。

今回も「アレ(移動セット)の登場はヤバい」と思ったそう。

次回は失敗が無いよう、キャスターを増強して挑むことにします。

 

さて、荷台のそれを下ろすには奥方の回復(手よりも怒りの鎮静)も待たなくてはなりませんので昨日の午後は気分を変えて「花見でも」と散策に連れ出しました。

遭遇確率の高いカモシカの居留地、諏訪原城のあのヤマザクラとシダレを見ながら、勝間田公園を回って帰るという算段でした。

 

昨日はさすがにサクラは無理とは思いましたが案の定ヤマザクラには花はなく、恒例のカモシカ対面もありませんでした。

富士山もまったく見えず・・・

なんとか、数年前に営業を始めた店「すわはら」のシダレが満開で独り気を吐いていました①がそれだけでも満足。

あそこまで大きくなるとやはり美しいものがあります。

 

そして空港手前から台地を下りて勝間田公園へ向かいました。

今ちょうど、そちらではミツバツツジが満開になりつつある頃。

こちらのミツバは地元では名が知れていて(牧之原市ホームページ)、駐車場は満車状態でした。

 

ミツバツツジの群生、私の思うところといえば近江や京都の山の中の図で、かつてその景色を境内に持ち込みたいと、三株ほど購入して植えましたが、まともに成長せず1株は枯れてしまいました。

おそらくもう1本もダメな感じ。残りの1本が唯一、一輪花を付けていただけ。

境内の土壌は相良の石灰山(いしばいやま)から持ち込んでいます。よって超アルカリ状態になっていますのでそれが彼らの成長を阻んでいるのでしょうね。きっと酸性土壌好きの植物かと。ちなみにアルカリ化は白アリ対策でもあります。

 

公園の上部にその花たちが見えるのですが、そちらに辿り着くまでが案外と急坂の山の中。

それをクリアしなくてはご対面はできません。

驚いたのは年配者の多数。ハラハラさせられるような歩で「大丈夫?」と思わされるシーン多々ありました。

奥方と「あの年齢になった時」さてわれらはどうか・・・の問答がありました。

お爺さんお婆さんと言われるくらい足が覚束なくなってこの山にツツジを見に行くバイタリティ、ハッキリ言ってスゴイ。

 

こちらの公園は勝間田城のある勝間田川が作った舌状大地のその先端部分になります。

勝間田城址からは3㎞少々下流になりますが、城郭の形成を考えると絶妙の防衛部分となる場所。

 

登攀中、左に「堀底道の竪堀」、その隣り合わせにある右側の「切岸」を思わす地形に中世の人の手を思いました。

⑦は現代の人の手でしょうが・・・

この山も十分に城郭跡を思わす場所ですね。