稲川東平(山梨稲川)の八歌 蕉園和する作 これで16

「それにしても20人とは・・・(少なすぎやしないかい?)」と当方奥方が。

飛行機を2機飛ばしてですからね。

「美談」ではありますがいつもの「やった感」を思わすお体裁程度の如くに思ってしまいます。

まぁこれは現地での調整不足なのでしょうね。

「あなたはダメ・・・」の選別もあったと聞きますし。

 

とにかく日本人にとってはその「救出」と援助は誇らしいことでしょうが「取っ付きっぱなし」は気の毒のような。

しばらくそっとしておいてあげればと思うばかりです。

彼らも「是非に発信したい」ことはたくさんあると思いますのでその時まで待ってあげたら・・・

 

やっとポカポカ陽気となった昨日の私は法縁で某ホールに。

いつかはそういった場面に遭遇するのだろう・・・と思っていたことが遂に起こりました。

法事も中盤に差し掛かり、私が焼香に立っている時、後ろの方でザワザワしだしたな・・・と思うと「救急車を・・・」の声。

 

最後部に着座していた方の「意識がなくなった」ということでした。

自宅に戻ってその件話すと奥方から「それでどうした」というので「中断した」というと「えー・・・」。

まぁ何が正解だったか分かりませんが私は葬儀進行をヤメにしてその場を仕切るべくその方の元に動きました。葬儀ですから私が仕切るのは当然ですからね。

それを当家では「レスキュー魂に点火」という表現を使用しますがそれは性分、お節介に「うざったさ」満点、ひと騒動となるのは致し方なし

救急車を呼ぶということは誰であっても重大事案ですから坊さんなら「ど~んと構えてろ」の意見があったとしてもそれは一蹴しますね。

 

30分以上の遅延となりましたが式終了後、寺に戻ってしばらく電話があって救急搬送後の検査での無事が伝えられました。

(医師でもない)私の所見は脳梗塞、心筋梗塞の症状と御見受けしましたので現状軽度であったということでしょう。

一安心、おかげさまでした。

 

尚、式場担当者に「AEDはあるんだよね?」と一応聞いたところ「こちらには置いていない」と。

「もし(その方の)心臓が止まっていたら・・・(私は)もっと大騒ぎすることになる」と脅してその設置の検討を依頼しておきました。

「貴方が近隣にそれを借りに走る」ことになるよ・・・と。

 

AEDは拙寺にも設置してありますが、滅多に使用するものではありません。いや未だかつて一度も使用したことなし。

要はお守りのようなものです。

よって最近問題になっていることといえば電池の消耗につき、イザというときに「可動せず」の件。

電池チェックは怠りなくということですが、というか拙寺はリースですから、月一回の集金の際にチェックはなされています。

にも拘わらずもしや「その時、不可動」などあったとしたら責任はリース会社となりますね。

 

さて、最近集中して記している拙寺の掛軸からまた。

本日は稲川東平(山梨稲川)の八歌を。

山梨稲川(やまなしとうせん)1771~1826といえば浅間神社。

神主かつ音韻学者で字は玄度ほか多数。別号は東平です。

この軸の表装には拙寺祐厳と祐賢親子の趣向とそのお付き合いについてまとめたものと考えますが、しかし御先祖様ヨイショの手前味噌の私でもありますが、ハッキリ言ってその交友関係は田舎の小寺の坊さんのレベルを遥かに超えているように感じました。

どちらのお友達もその道達者の学者たちですからね。

私の爺様たち、またしても敬服します。

また山梨稲川家は白隠さんとも関わりの深い家ですから以前拙寺の「消えた白隠の軸」について記したことがありましたが、その出所の推測として「ここだ!!」と思った次第。

 

 

 

軸の前文が

「駿州稲川東平是神主 富文学 生来以左手得書 

   釘浦山有八景 小嶌賦八詠之詩其詩送

                   東平今其和作也」

 

左手得書とありますが幼少時に右手を負傷した為で左手で書を記したということ。和作は「わするさく」。

 

駿州稲川東平

釘浦山八景有詩

和其詩五言絶句八首  和  藤君公倫為 祐上人作八詠之

 

①玉立横東海  雪華明萬古  無嫌隠霧深  恥与群山伍

②冥流須寶筏  之子有神通  一片風帆影  直凌蓬島東

③折取最高枝  持之代麈尾  玄談披拂時  風標壓凡卉

④夕陽沈已久  畳碧鎖連峰  誰解發深省  霜前乙夜鐘

⑤不慕磻渓叟  寧知厳瀬翁  唯把一竿釣  簑衣風露中

⑥似神非者三  雪巻幾千尋  半夜君聴取  潮音即梵音

⑦霧沐青松𩬊  日温翠壁膚  暁雲誰剪破  石榻巧平敷

⑧金風吹翠幃  林葉晒秋輝  一夕迎青女  織成雲錦機

                    稲川居士玄度

 

 

藤君公倫・・小嶌蕉園 祐上人・・・祐厳・祐賢(拙寺9代10代)無嫌・・うたがうことなく 恥与・・はじるかな

須・・すべからく 

麈尾・・しゅび《「麈」は大きな鹿の意》仏具

玄談・・奥深い話 深遠な話

披拂・・ひふつ ひらきはらう

風標・・風雅な趣が外側に現われること

卉・・草木

鎖・・とざす 深省・・しんせい 深くかえりみて悟ること

乙夜・・いつや 午後9時ないし10時から2時間

磻渓・・朝鮮実学の創始者 寧知・・いずくんぞしらん

簑衣・・さい みの 

似神非者・・かみとにてひなるもの

半夜・・夜半 子の刻から丑の刻

梵音・・読経の声

 

小島蕉園の大澤寺八景(八勝)と比べてください。

稲川のこれらもその作集に掲載があるかは不詳です。

しかしどれもこれも相良(大澤寺)の風光明媚の件ですからね。

ということはまた・・・「大澤寺8景+8景」など倍になる件・・・

半端ない当家の宝物になりました。