変成男子再び 私の葬儀勤行集 

境内の様子はこれまでと一変しています。

温かくなったということもありますがお彼岸連休にあわせたまん延防止解除のお触れのおかげで参拝者激増の様を見せていました。

他府県ナンバーも散見されてまさに「堰を切った」ような勢いです。

おかげで花ガラの袋が2つが満杯となって空の袋を1枚追加したほどでした。

墓参に来られるような人たちは基本的に根が正直で真面目なのでしょうが今回の制限解除の報で、一気に増えたというわけですね。

私など制限があろうが無かろうが行きたいときに行くという性質(たち)ですのでこの自然発生的な「揆を一にする感」は驚きでした。

もっとも私の行きたいところといえばお墓やお寺そして人のいないお城ですからね。

奥方はそれを「ハカ・テラ・シロ」(勝手にしろ)などと続けて、やれやれ感満載の嫌味を言ってくれますが。

 

境内墓参でのコロナ感染はまずあり得ないところですが、自家用車利用の遠方者は途中休憩や食事タイムが怖いですからね。

しかし私は思います。

この連休と桜の花見シーズン、要は春の陽気に誘われての大緩み・・・第7派突入のきっかけになるのではないかと。

まぁその件お国の方はすべてお見通しなのでしょうが。

ちなみに私の第三回目のワクチン接種は再来週。

私ども田舎者はどうでもいいことですが、どう考えても遅い、遅すぎます・・・。

 

さて、大河ドラマ。

どうやら義経の描き方はこれまでの誠実な兄思いの戦い巧者というものではなく小ズルイ嫌な奴、頼朝に成敗されたとしても「仕方ない」という方向で描いています。

まぁこれまでは絶対に無かった義経への評価ですから各地に残る義経哀悼伝承を大切にしてきた人々にとってはショッキングな悪辣性質の演出なのかも知れません。

笑いを取りに行く傾向大の創作大河であることは覚悟していましたが、それにはさすがにクレームが出るのでは・・・。

「鎌倉殿」を中心に回すという番組ですから義経の存在意味はどうでもいい盛り立て役なのでしょう。

あのキャラではまるで私の息子を見ているようです。

 

昨日の回は男子誕生の願いについて描かれていましたが、まぁそれは武家社会の「家」を中心にした考えからして当然のことです。

頼朝が男子がもし生まれなかったら「九朗(義経)を跡目にしてもいい」ような台詞がありましたが、それはあまりにも今風の感覚であって、頼朝の「懐の深さ」を表しつつその後の伏線としての演出なのでしょうが、当時としては絶対にあり得ない発想です。

 

そして頼朝の弟の全成(悪禅師)-インチキ呪術師として描かれていますーが頼朝の妻政子が懐妊しその子が「次こそ男子」が生まれてくるよう占い呪術を用いるという設定ですがその際の彼のセリフに「変成男子」という語が出てきました。

何度かその語についてブログにて記していますが、お腹の中の「女の子が男の子に変わる」などのワザについては知りませんでしたね。

 

その言葉は古来からの女性蔑視の思想が根本にあるもので紐解けば仏教経典からのものですから出鱈目なものではありません。

各お調べいただければと思いますが、それは「女性蔑視」(障りが多すぎて成仏できない)思想のこと。

 

延々に存在した考え方でしたがここ10年くらいの間にかなり変わってきました。

私が本格的にこの仕事をするようになった頃には「真顔」でもって葬儀などの和讃や経文を男用と女用に分けてお勤めしようとする僧職もありましたね。

お経だと「男子は無量寿経、女子は観無量寿経」などと。

分けなければならない理由など無いはずなのに分けたがったのですね。

 

余談ですがその手の「女こそ悪である」の究極の思想といえば大陸に「皇帝の母親」の件ありました。

子供が世継ぎとして決定するとその母の死が決定するというならいが時にありましたね。

 

それは少々意味合いが違ってきますが我が子が強大権力を持った時その女親は最大の民の敵、政の障りとなりうるということを意味していました。

長い歴史の中で発生した経験則なのでしょう。

よって皇帝世継ぎ決定=機械的に母は死罪という流れ。

 

強大権力を持てば男でも女でもその取り巻き含めて「驕りと排他」が起こるものですがね。

古今東西それはロクなものではないということは現代の常識になっています。

 

①は私が使用している、というか当流どちらでも葬儀式といえば「コレ」という経本だと思います。

その和讃の部分ですが、(男)(女)の区別があります。ちなみに③④はひと続きになります。

私は②~とスティックしています。男でも女でも同じ・・・

今はどちらでもそうでしょうが・・・

 

以前も記しましたが拙寺で現状「男と女」を区別しているのは女性法名の「釋」の下に小さく「尼」をつけるということだけ。

これはただの事務的なものです。

苗字ナシの膨大な法名の中、それがあるかないかでその追っかけ判明が1/2になります。

それには女性であることの障害は一切ありません。

というか歴史上仏教世界でもそういった思想がマジメにあったことが驚きではありますね。

 

尚、当流ではまじない・占いの類、一切ありません。

幾度もしつこく記しますがすべてのことが「あなたまかせ」(絶対他力)だからです。

※あなた・・・阿弥陀仏