幕末過渡期 21代厳如上人から「真宗大谷派」に

起床時の室内気温は15℃。

今年の最高です。

月曜日が雨予報ではありますが、今週の日曜は処理場が開いていますので残りの残材を積み込んでからソテツの左右に張り出している部分をそれぞれ根元からバッサリ。

案外チェーンソーなら簡単でした。

これまで私どもでさえ何度も頭をぶつけていた箇所ですが、代々大切にしていた感のあるソテツでしたのでそれだけは手をつけていませんでした。

本堂側の張り出し部分とその下に埋まっている石を取り去れば軽トラがあと数メートル入ることができますので、ここは「一気に・・・」ということでやっつけました。

 

ソテツの生命力を確かめたく、と言っても切った後の残材の重量も半端ではないということと、処理場でも受け取ってもらえない可能性があったため、穴を掘って二人がかりで差してみました。

日当たりが悪いところですからダメかも知れませんが。

 

そのあとは本堂裏の「ジャングル」の解消をと2年近く動かしていなかった刈り払い機を持ち出しました。

空のガソリンタンクに混合を注ぎ、コードを引きまくり。やっとのことで始動しましたが、回転を上げるとエンストするという症状。何をチャレンジしてもまったく改善ナシで約1時間、諦めました。

 

キャブレターの詰まりの可能性がありますので次回バラシてみることにします。

しかし申し訳ないと思ったことは、静岡の秋野氏が刈り払い機の新調する際、私に「おすすめの機種」について意見を求められたのですが、偉そうに講釈してこのメーカーを指定したことです。

まぁ機械を2年も動かさないでいればこういう症例が出現することもあるということで。

しかし、エンジンがかからないというのも腹が立ちますが、この始動しても回転が上がらずエンストというのもストレスが溜まります。

 

ちなみに刈り機の使用を抑えているのは拙寺西側の土塁部分の笹を刈り上げ除草剤を散布したために土が削げ落ちたことからです。

上部には大木が立っていますので大いに反省しています。

今後土を入れていかなければなりません。

 

さて、画像は当流21代目法主厳如さん。

今は「門主」と呼び名は変わっていますが明治維新を上々に対応した人ですね。

西本願寺が秀吉、東本願寺が家康のバックアップという大雑把な感覚がありますが、その雰囲気は禁門の変のドサクサで長州勢に火をかけられるなど「幕府方」としての見立て雰囲気がありました。

 

幕府から明治政府への交代そして、当初の廃仏毀釈という意味不明の思想に頭を悩ます激変の時代に好対応をしたトップとして名を残しています。

特に当時は「厳しい」と思われていた北海道開拓事業を手掛けていますが、今の北海道を見れば当然に「成功」したといって良いでしょうね。

 

画像は拙寺の厳如上人の御真影。「真無量院」と3文字の院号。

亡くなってから2年と少しの銘と檀信徒が寺に寄進したと記されています。

尚、祐闡は12代目、私の曾祖父になります。