今年度の静岡別院行事と三河別院花まつりの案内

戦争にもいろいろあって「それをやっちゃあおしめえ」というのが敵の原発への攻撃というのがそれ、世界の常識だとか。

昨日は朝から大変、ウクライナ原発へロシアの砲撃によって火災が・・・、とのニュースがありました。

ロシアは相変わらず見えすいた-ウクライナ軍の破壊工作であってロシアの仕業ではないーを主張していましたがね。

国内向けのフェイクニュースは世界には通用しませんが。

 

これまでその原発攻撃の件あまり聞いたことがないこと、まぁ脅しのレベルなのでしょうが「敵が一番困ること」であることは間違いないところ。しかし勝利のための選択肢としては私は大いにあることだと思っていました。

かなりえげつない「脅し」としても砲弾が「的中」したとすれば自国民や第三国に対しての被害を想定しなくてはならないですからね。

一言で常軌を逸した「サイコ野郎」などと口汚く罵ることはできますが、それほどの無茶をやられたら原発周辺の住民はたまったものではありませんね。

 

以前から私は経済界主導で経産省など放射能大好きの皆さんがその晒された弱み(原発)をデカく設置して儲けましょうのスタンスに疑問を抱いていますが、今回の件で、やはり「的(まと)にされる」ということがわかりましたね。

強烈な恫喝ともいえるミサイル1本だったのでしょうが、その原発の存在そのものがリスクであるということを世界に知らしめました。その不安はこれからの原発行政に影響してくるでしょうね。相手は原発に焦点を絞っているということ。

どう火力を充実するかなど、空虚なものとなるミサイルの的中。

特に日本は島国であって風の流れは大陸から離れるもの。

仮想の敵が大陸側にあったとしたら、その自国民や第三国への影響は軽微ですからね。

 

イザとなったら「原発を狙え」となったとしても不思議ではありません。日本は狭く人口は密集、その爆発破壊などあったとすればただ逃げるだけですね。どこに逃げればいいの・・・狭いニッポン。喉元に鋭利な刃物を突き付けられる、とはよく言う喩えですが自らその喉元に刃物を添えるのはあまりにも愚。

この国の原発は自らの国民の首を・・・。

 

昨日も福島原発の賠償責任(3600人に14億円)が確定したといいますが、あの津波対応での失策を認めることは当然の事。それが最高裁まで抵抗するなんて。「その時」勿論保障などありえませんね。

しかし今度のウクライナ原発危機でその被害の比較として「フクシマの・・・」とその物差しとされていることを「恥」と思わなくちゃあね。みっともない。

 

さて、昨日は本山から頂戴した「兵戈無用」のポスターを拙寺道路際の掲示板・・・というか私の手製フェンス・・・に貼り付けました。

今それを表明しないでいつするの・・・といったところですね。

最近特に神社本殿前(お寺でも掲げているところがありました)に行くと「疫病退散」といった幟が目立ちますが私はやはりコレですね。

何度もブログで記していますが「病」とは私たちが受ける必然のこと。生老病死の四苦の一つ。

 

その「退散」は気持ちとしては理解できますが、「ちょっと違う」の違和感。

天災は天災でもロシアの「21世紀のスキツォイド・マン」の方は人間の仕業ですからね。退散していただきたいのはこちらの方。前者はどうにもならないところなのです。

 

どうかこの4文字を世の中に広めて欲しい。

色見も目立つことこの上なし。青+黄(ウクライナ)が映える。

 

そして、ついでに先日到着したばかりの静岡別院、今年度の行事・法要スケジュールを掲示しました。

以前本通りの永田さんを引き連れて法話を聞きにいったことが思い出されます。

 

どれだけの人がこれを見て実際に足を運んでくれるのかわかりませんがお知らせしなくては始まりません。

とにかくコロナが終わってくれないと動きにくいのですが。

 

最期の画像が三河別院(岡崎)の花まつりの案内。