岡崎東公園 欠城痕跡探し 志賀重昂歌碑「三河男児」

昨日の死亡者は271人で過去最多。東京では「ステルスオミクロン」なるより感染力の高い変種も発見されたそう。

クラスターの発生も過去最多で2/7~2/14までで2277件。

高齢者施設での発生が突出していますね。

 

また「若いんだから家で」ということで若年層の発熱、機械的に自宅療養の選択。それは今のコロナ禍の流れ。

そんな折、先日はモデルナ接種後の20代の方の体調激変による死亡の件を記しましたが、昨日は10代でコロナを発症した方の自宅待機の挙句の急変死亡の事案(基礎疾患ナシ)がありました。

 

体中に血栓が発生して死に至るというパターンだったようですが、ワクチンを打っても血栓、コロナに罹っても血栓というのはかないません。虫が良すぎますがワクチンを打たずにコロナに罹らない・・・がベストですが、打たなくてダメでしょうかね。

 

あたかも「高齢者限定それも軽度」という「噂話」が飛び交って緩々の社会になったわけですが、ハッキリ記させていただければ「死んだ者は帰ってこない」。

正論としてお医者さんが「犠牲をゼロにすることはできない」ので「ある程度経済を回していかないと」の論には違和感がありますね。誰におべっかを使っているのだ・・・などとも感じます。

そんなところで(インタビューを受け)経済対策をぶっていないでお医者様なら全身全霊をかけて人の命を救うことに専念して欲しいと思うのは私だけ?

 

あたかも「人が死ぬのは仕方ない」の論であってそれはそもそも私ども坊さんの言葉(諦観)ですよ。

せめて医者ならば、こぼれようとする命を老若男女違わず手を差し伸べるという気概を示していただかなくては。

そのために医療従事者の尻腰を押すというのが国の仕事。それが真っ当にできていない、検査と医療が欠落しているから今の様になっているのです。

 

まぁ基本、今は政(まつりごと)に屋号が付くべくそれを「商い」化するのが常態化していますのでその経済界の注文には頭が上がらないのでしょう。持ちつ持たれつの仲というヤツですね。

 

入国制限の緩和が決まりましたが、どう考えてもこの田舎の平穏無事を日々謳歌している私ども木っ端庶民にとってはイヤな感じしかしません。せめて抗体検査ではなくPCR検査でシロクロをハッキリしていただきたいものです。

 

先日は静岡市美術館の企画展について勝手な思いを記しましたが、静岡在住の秋野氏がその件、現在建設進行中の静岡歴史博物館のハコの中、「未だ何を展示するか決まっていない」「とりあえず駿府城天守のミニチュアとジオラマ、模造復刻品等の展示」の如くの「やった感」と同様であるとのご指摘をされていました。

 

しかしこの金欠ド田舎の牧之原の海っ淵に住まう者から見ればかなり景気のイイ雲の上のお話のよう見えます。

その博物館が62億円、それ以外に天守台展示に8億、市民文化会館改修工事に160億。

よくもまぁそうぽんぽんと出せるものだと感心させられますが

静岡市民がお金持ちということなのでしょう。それも半端じゃない・・・ 

決定権者の気風がよく、その大盤振る舞いのウラにあるものは・・・いったい何?

 

先日のコロナ禍中の静岡で奥方が帰りに寄った場所は松坂屋。私は駐車場の車の中で待機、居眠りタイムでしたが

その静岡松坂屋は開店90周年の記念で7階フロアーをすべてブチ抜いて水族館を建造中とのこと。夏前には完成するようです。

それとは別に静岡市も清水区に水族館建設をGOするようですね。静岡にイキナリ2つの水族館が登場するようです。

市に「何を展示するの」と聞けば「まだ決まってない」そう。

ハコは作るが「中身がナイ」とは。

さすがお大尽のやることは違いますね。これも「地元経済界」からせっつかれていたようです。

 

ちなみにその名称は「海洋・地球総合ミュージアム」と。

総事業費169億円(毎年3億6000万円の赤字含む)・・・といいますがこれまでの各イベント興行の例からいえばまず予算オーバーとなることは目に見えていますし、市の毎年のさらなる補填額は二けたの億を超えるだろうというのが市内外からの意見。

 

ではどのくらいの入場者を見積もっているの?の計算式は相当の大甘な物差しだったようで、地方の規模1.5倍の某水族館よりも上を行く数字を想定していました。

まぁこれから毎年頭の痛い赤い色の数字を晒すことになるのでしょうが、そのツケは静岡市民のお支払いというのが確定しています。それを決めた人はさっさとおやめになって東京でもどこでも住処をかえればそれでお仕舞でしょうが静岡に居続けている人は借金を背負いこまされるという寸法。

そんな無責任な政では静岡市の人口も減るはずです。

 

さて、昨日記した岡崎市東公園。

欠城の痕跡を求め、遺跡壊しの最たる構造物、高速道路に架かる橋を越えて更に上へ。

結局、その件「感じる」ことはできませんでしたが、志賀重昂(しが しげたか)の銅像と歌碑「三河男児の歌」に遭遇。

高速道路に架かる橋の名の意味がここへきて判明しました。

現代社会でそれ(男だから・・・)はなかなか言えなくなりました。