正安二年 1300年銘の板碑 長沢 観音堂

前夜からの強風がやんでここ2.3日のうちまずまずの良い天気になりました。

真夜中の強風の中、消防車のサイレンや町内のマイクから流れる火災情報などあれば安眠とは程遠い状況となりますが、それがなかったことは有難いことです。

 

一昨日とは違って朝から陽ざしがありましたので外仕事は楽なものでした。

16時前に地頭方の処理場に花ガラの処理に向かいました。

処理袋3パックの搬出ですが、これが1月初旬からこれまでの約1か月分とかつてない少なさ。

寒さとコロナで墓参が控えられていたことがよくわかります。

 

朝は静岡市歴史文化課から電話がありました。

案の定小和田先生の登壇するシンポジウム「今川館の姿にせまる」が中止順延になったというもの。

その件、私はその連絡は「そろそろ来るな」と思っていました。担当者は丁重にその旨を伝えるということ仕事ですから仕方ないことではありますが、痛く気の毒に思いました。

何せ500人を集めていますからね。

連絡がつかない人もいるはずで、私がその立場でしたら「冗談じゃあない」ですね。

10人も連絡すれば声枯れしてるでしょう。

手分けしての仕事なのでしょうが、電話ではなく「メールでの参加応募」に限定するとか「ないのかねぇ~」と奥方が。

その前に「今人を集めるとこうなる」と冷めた口調になっていました。

延期の期日は未定ということで決定次第「HPにて」とのこと。

 

昨日の静岡県の感染者は過去最高の1799人を更新していました。クラスターも新たに5件発生していましたがそのうちの一つが牧之原市の幼稚園(12人)だとのこと。

数日前から市内でも非公表ながら学級閉鎖があったといい、父母たちは学校に子供を出すことに躊躇、休みの連絡を学校に入れたとしても(理由は「行かせたくない」)学校側からは「ハイわかりました」の即答だそうです。

 

今世間では「子供が一番怖い」の雰囲気を醸し出しており、子供が家庭にそれを持ち込んだとなれば一家全員がそれに罹患しなくてはならなくなるという恐怖の流れが想像できます。

そうなると一家の生活そのものが止まってしまいますからね。

 

しかしいつまで続ける気でしょうかね。

だらだらと方向性の定まらない政治。

昨日も全国で103人が亡くなったそう。

死者の数からすれば前回デルタのピークと同等でしょう(昨年6月以来)。

「オミクロンは軽傷で済む」なる情報を鵜呑みにし、また流布させて「経済を停めない」を合言葉に三回目のワクチンすら手配できない人命軽視ののらりくらり。

 

「近いうちにピークアウトする」というご都合よろしき願い一本でここまで来ましたが、そのピークとはこれからずっと先のことだったりして・・・。

子供たち、若い人たちは免疫がしっかりしているのでそれは軽傷で済むのでしょうがこれから各持病を持った方、年配者へそれが広がるとその「オミクロンは軽い」の信仰者はその感染の助長に組したことを自ら後悔することになるでしょうね。

何しろ今はコロナ関係なく、病気も怪我もできません。

病院がパンクしています。

 

さて、昨日の観音堂城

あの観音堂の入口に背の高い(190㎝余)板碑がお迎えしてくれます。

板碑正面にはハッキリと薬研彫された三尊の種子、金剛界大日如来「バン」、釈迦如来「バク」、胎蔵界大日如来「ア」が見えます。

愛知県内における正安二年まで遡る石造遺物はそうはないでしょうね。市指定の文化財となっていますが、この遺物からして愛知県が指定しても不思議ではありませんね。

この観音堂には所有者があるようです。そういえば新しい墓の銘にはその所有者と同じ名があったような。

 

こちらにそれがある経緯と、その三尊の並びについてよくわかりませんが、大和の雰囲気が漂うこの遺物から、ここ長沢が古くから文化と宗教においても東海道の要地としてあったことが推測できます。

 

④と⑤は観音堂側からの図。

左側の自然石は後補でしょう。板碑と対にして観音堂の「門」とする意図か。