雨上がりの朝は無風で温かさがup。
何より良きお湿りをいただきました。
前夜、床に着く前に庫裏の毎度雨漏りする箇所にバケツを二つばかり置きましたが、朝のそれには溜まった水はナシ。
一応は安堵しましたがあの程度の雨では前回の補修が上手くいったかどうかの判断はできませんね。
昨晩は寝ている間の雨ということで、通常昼間の生活環境を送っている私どもにとってはことに有難いことでした。
雨は夜に降って夜明けとともにスカッと晴れ渡る・・・など都合よくいけばいいものだと常々考えてしまいますね。
そううまいこといくワケはありませんが、昔から「夜半」に天気が急変するというイメージは少なからずありましたね。
まだ梅も咲き終わっていないのに桜の話というのも早いですが
御開祖の歌を思います。
「明日ありと 思う心の あだ桜
夜半に嵐の 吹かぬものかは」
でした。
よく言う「明日があるさ」的ノー天気分の反意ですね。
要は「はやく はやく」のスタンスですがこれは蓮如さんの白骨の御文(5-16)の終わりの箇所
「たれのひとも はやく後生の一大事を心にかけて・・・」の「はやく」に通じるところ。
また「夜散る花」といえば金子みすゞの同名の詩がありました。昨晩のEテレの番組でもその詩が登場していましたが「あっという間の命」と「花」をかけてこれからの人生への不安と寂しさ、居ても立っても居られない焦りのようなものがあったりすることも思います。
もたもたしていれば空しきことになる・・・
さて、御開祖は比叡山に上がることになりますが、当初その歌を詠んだといわれるのが青蓮院。こちらは以前拙ブログでもその歌とともに記していました(青龍殿はこちらまたはこちら)。
拙寺も天台寺院からの改宗、当初の名、本楽寺がその始まりですが、この青蓮寺は天台宗の門跡寺院です。古くは比叡山に坊舎がありました。
御開祖も蓮如さんもこのお寺に世話になっていることが知られていますので真宗門徒としても宗旨は違えども崇敬の念を向ける寺でもあります。
四十九院唯念寺は法相宗-天台宗の流れを持ち、真宗に改宗された寺ですね。
寺伝から詳しく記すと行基菩薩の創建を初代とし第四世の豊安という人までが法相で五代慧達から法相兼天台という形態になります。私にはその感覚はわかりませんが、天台を名乗ったとしても法相を完全に捨てたというワケではないようです。
二十五世に本願寺六世の巧如(ごうにょ)上人の三男の照俊が入りその子の照善はやはり青蓮院経由でこちら唯念寺の二十六世を継承しています。勿論その際はお寺の宗旨はそのまま。
またそこにも初期本願寺と青蓮院の関わりが深かったことがうかがえます。
そのような経緯の中、二十六世の照善が念仏の教えを父より受け継いでいたこともあってか蓮如さんの子、実如がこちらの寺に逗留したことをきっかけに真宗寺院として宗旨を完全に改めたということになります。
ここで特筆すべきはこの宗旨改宗劇のそもそものきっかけとなった二十五世の照俊をこの寺に入れたのが二十四世の義円だっ
たということのよう。
義円の「義」とは・・・足利将軍家の「義」。
当初、足利将軍家の倣い、将軍継承者にない男子は寺に入るというのが道筋。後継候補ではない旨を主張することになります。そして史上、彼が青蓮院に入って門跡となったことは承知していましたが、その前にこちらのお寺に入っていて、しっかりと二十四世として明記されていることには驚きました。
こちらの寺が足利尊氏、義詮との関りが深かったことから以来足利家は義円を僧籍に入れるにあたり青蓮院の前にこちらの寺に
入ったのでしょうね。
画像①は昨日の午後、5時過ぎあたりに相良汐見台の最西の丘の上 に上がって東側小堤山公園方向を見たところ。
だいぶ日が長くなってきましたね。
②~は唯念寺の荘厳と装飾そして天井。
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