城塞の如く 四十九院兜率山唯念寺築地塀の見事 

昨日午後は岡崎教区内、中遠のお寺があつまる「組会(そかい)」に出向く予定でした。

内容は私の予想するところ・・・本山からの厳しいお達しがここ数年言われ出して久しいものがありますが、末寺としてもそれを大らかな心で受け入れて愈々本山を盛り上げていきたい・・・というものですね。

 

本山の危惧するところは、親鸞の教えを維持するための運営力の減衰ですが、その辺りは末寺の寺々も同じこと。

しかしながら私ども末寺の僧侶もご開祖の教えあっての存在意義ですから「身を粉にしても報ずべし」(正像末和算)の心得でありたいものです。

 

予定・・・と記したのは私は会の出席を見送った故のこと。

先週は葬儀ほか法事、読経の時間が続き、喉のかすれと鼻水といわゆる風邪の症状が出ていたからです。

熱などはありませんので平チャラの躰ですが、他者への迷惑がありうることと、田舎の地に住まう抵抗力のない私が東海道沿線のお寺に行って、「何か」を頂いてくるというのも少しばかり恐ろしいものと思いました。

地元の仏教会の寄合は早々に中止になっていますので。

 

さて、先日は近江、豊郷町四十九院兜率山唯念寺の真宗寺院にもかかわらず法然さんの像の存在について記しましたが、その理由はお寺の辿った歴史の古さゆえのこと。

ただし再三記しますが当流で御開祖回忌のその「開祖」といえば親鸞さんのことのみです。

そして以前こちらのお寺について記しましたがその追記です。

 

 

お寺の宗旨の名乗りの変遷が大雑把に法相宗-天台宗-真宗とありますが、天台と真宗の間に浄土宗に傾倒した僧がいたとしても不思議なことではありませんし、一向専念無量寿仏の宗旨以前

にその「兜率」(弥勒)の山号の如く、多くの仏たちとその救済を受け入れてきた歴史の古さというものが私どもの寺の如く450年程度の歴史とはくらべものにならないほど古いのでした。

 

それでいてスケールも巨大で、何から何まで別格と言えるくらいなのです。あのお寺の紹介に「城塞」であるとか中には「四十九院城」などというものもあるくらいで訪れた際はその見事な本堂に圧倒されたものです。

何よりまたその築地塀は見事です。

 

 

いったいこの巨大な寺をどう維持していけるものか、大変なことであると思った次第。近江のご門徒は各寺院に分散し、また人口の減少も著しいでしょうから。

 

最後の画像はお寺の物置の1ショット。

雪かき機ですが、これをスタンバイしておかないと「その時どうにもならなくなる」ようです。

きっと今年もフル活動でしょうね。

 

ここでも雪かき、雪下ろし皆無の当地の地理的有利を思いました。そうそう氷点下にならない・・・それも自慢。