小袖 総、腰模様 縮緬 絽 裂 墨書 そして打敷

世の中の疫癘蔓延のところは承知していますが、人の心もまた病んでいるところは今、巷で繰り返されるようになったと感じる「病」からもわかります。

「他者を道連れにして己も死ぬ」の短絡思考、とはいえ当の本人は余程追い詰められた故のことなのでしょうが、昨日起きた若者の試験会場での凶行には唖然とさせられました。

どうやらその手の自暴自棄をメディアでは「拡大自殺」と呼ぶようです。

自爆テロと同様ですね。

しかしまぁ、その自己主張の無理やりに一緒にお付き合いする方はたまったものではありません。

 

問題はその「拡大」する風潮がかなり蔓延してきたような気がして。

それを「世の中が病んでいる」と一言で仕舞うのはカンタンですが、この因は孤独と疎外感。それが各執着心から醸成していけば絶望感に繋がるというわけで。

ただでさえ世の中の事、大抵の事は自己の希望に叶わないことばかりですから。

社会には「思いやり」も「やさしさ」も消え失せているような個人主義の蔓延。

 

そこへきて人の価値観、幸福感の物差しが増幅し、人々が自己を主体にした生活感と欲望を実現すべく行動し、その実現のための生活感こそをヨシとした風潮がその病の大元でしょうか。

絶望してリセット、しかも他人に八つ当たりという結末。

やはり世の中、病んでいる。

何を隠そう、そういう社会を容認してきたのは私たちですからね。

 

何度も記していますが、今子供たちに教えていくべきは夢や希望もいいのですが、一言で「諦めること」・・・(明らかにすること)

そしてこだわらないこと、出来ないことを認めること。

自分を見つめ直す事。

真宗的には「ちうくらい」「おまかせする」の「諦観」ですね。

色々あっていいのですから本当のところは「ダメ」は無いのですがそれでも「ダメでいいじゃあねぇか!!」の開き直り。

どうか絶望しないで欲しい。

おカネが無かったらとにかく国の制度を利用してください。

聞く耳を持つ地元の方は必ずいます。

 

さて、昨日の続き。

拙寺にお招きした学芸員の先生の「御所解」を考察された論文(東京国立博物館研究誌No.653 画像②)を拝読し、また先生に推奨いただいた図録を国立歴史民俗博物館より取り寄せました③④。

カラー図録には昨日記した顕微鏡の画像が各掲示されていましたがあの道具の使用はその世界では常識だったことがわかります。

 

これまで博物館の類にお邪魔した際に見かけた「きもの」の類でしたが、ざっと見て「ふ~ん」程度で鶏の進むの如くして忘却の途を歩んで来たものですが、それら論文や専門の書籍を取り寄せて触れる新しい語にはたくさんの発見がありました。

その語たちが表記のものですが、拙寺なみさんの「御所解」打敷に関わる言葉たちです。

 

総模様と腰模様は小袖の模様の位置の違い。

模様が全体か腰から下かですね。

縮緬に絽は素材と織り方。

それらはなみさんの打敷に改めた御所解の2種。

「裂」は御所解からの「きもの」からの再生のことを言うようで文字通りきものを裂いて別用途に仕立てるということでしょうか。

 

また私は「裏書うらがき」と言っていましたが、その手の添え書き(銘文)について裂には多種、例があるようでした。

またそれは「墨書 ぼくしょ」とのことです。

 

驚いたのはこの裂の例ですが、案外と打敷に改めて(仕立て替え)寺院に寄進するということが多いこと。

もっと驚いたのはその手のものたちが存在する場所は国内有数の博物館たちですが、どこのどなたが着用していたかについて判明しているものは僅か、そして広大院の例などはありませんでした。

 

画像①は息子のお世話になっているカレンダーから。

息子らしい語彙、彼が先生方に言われ続けた語でしょうね。

 

④は③の中からの一つですが、やはりお寺に寄進された打敷。

私はその解説文の「法然上人の回忌」というのには疑問に思いますが。

なぜならば真宗大谷派の寺院で「祖師」といえば親鸞聖人以外考えられないからです。祖師=親鸞・・・絶対的敬意なのですね。

私の知っている真宗寺院で法然さんの何がしかのご縁のものが伝わっているお寺は確か同じ近江でも豊郷町四十九院の唯念寺くらいのものだったような。

博物館図録の文言にケチをつけるなんて・・・とんでもないことですが。

 

とにもかくにもこの図録掲載の品々を拝見して、当家なみさんの打敷もこれらと同じ土俵に十分立てるのでは・・・と控えめながら確信した次第です。