信長の陣鐘と芭蕉の句碑 岐阜円徳寺

 

日没近く、境内作業を終えてひとっ風呂。

昨日は一昨日から一転、体感温度は比較的温かで動けばドカジャン不要の一日でした。

風呂から出ると奥方は先日の「(豪雪の)彦根に行けばいいじゃん」に引き続いて「長篠行ってこいやぁ・・・」。

これは何かあったな・・・と思っていればニュースで新東名新城のトンネルで車両火災の報。

いつも私が走ってる道路ですが、そのタイミングでトンネル内に居合わせた後続車の皆さんはさぞ肝を潰したことでしょうね。

 

帰省ラッシュと重なって新東名からなだれ込んだ車両で東名下り車線は酷い渋滞が発生していました。

あたかも「帰省するな」を示唆する何かのメッセージのようにも感じましたが。

 

「人の流れ」がオミクロンの爆発的感染を起こすことは誰しも知っているところですからね。

ちなみに横浜在住の息子も友人の「奥の墓道」氏も帰省は自重したいと。

 

人が集中すると「ロクなことがない」とは思いはしますが大晦日の拙寺の「除夕鐘」について、何とかご容赦いただきたいと心よりその安全を願うばかりです。

 

尚、私のあとに風呂に入った奥方の風呂上がりのコメントは「風情あるお風呂でした・・・」と。

聞けば露天風呂の如く落ち葉が浮いていたとのこと。

昨日はソテツの中に入って落ち葉を集めてをしていましたからね。

 

さて、先般美濃円徳寺(またはこちら)について記しましたが「鐘」つながりでそちらの鐘について。

「陣鐘」と一般的な梵鐘とは違ってひと回り小ぶりになりますが、永禄七年の銘がある信長寄進の鐘になります。

 

円徳寺は浄土真宗本願寺のお寺ですが、顕如さんの消息文と信長の鐘の取り合わせも奇遇です。

その顕如消息の内容は顕如が鷺ノ森に退去後、長男教如が信長に徹底抗戦しようと全国に檄を飛ばしているところ「それを信じるな」というもののようです。

織田家が「有徳なる人」である寺にとってあの長かった戦をこれ以上長引かせたくなかったという気持ちがあったことは推測できるところで、まさにその消息文の通りに考えたことでしょう。

 

その鐘の前にある芭蕉の句碑。

思うところは、鐘の音を聞いての句ですが、夏のもの。

よって時鐘を耳にして・・・の発句でしょう。

 

この句の出典は美濃の各務支考という芭蕉門の人の「笈日記」から。

各務支考は芭蕉の臨終を看取ってから芭蕉の遺句を「笈日記」

に記しました。

「撞鐘も ひゞくやうなり 蝉の声」は芭蕉が稲葉山(岐阜)で詠んだといいますがどうでしょう・・・稲葉山といってもお寺はたくさん。

こちらのお寺の鐘の音が聞こえたのでしょうか・・・