ここにもある中将姫伝承 奈良町誕生寺 

 

夕刻六時から今年最後の念仏メディテーションがありました。

よって明るいうちの境内作業の中、必要な物を購入に走りたくりましたが、我慢して待機。

外をほっつき歩いて雑念が生じ、その時間を失念したとしたら残念・無念なことですからね。折角一年間を何とか自分なりに過ごすことができたものですから。

 

念仏失念残念無念と「念」が重なりましたが、すべてが「私の思い」ベース。

「思い」とは「心」で「私の」は「自己の」「都合よく自由な」で、要は「勝手な」・・・。

ということでこれらは「私の勝手都合」ということになりますがそれに限らず、どれもこれも「私」が主体ですから何事においても「勝手」に動くもの。

 

その心の動きについて自身、自分から一歩でも離れて「自身俯瞰してみよう」という訓練の機会がそのメディテーションなのです。それからそれぞれの「私」に問われている人生や命について応えていければ・・・と一瞬間でも考えられれば上出来なのですが。

またそれは私の「命」や「人生」の方から(仏を通して・・・)主体になって私に向かって「どうよ・・・」という具合に聞いてくるのだと解釈。

 

現代は心のオーバーコントロール、制御不能・・・いわゆる「キレる」というヤツですが、一昔前といえばそれには必ず理由というものがあってその理由というものが見つけにくいというのが現代の子供たちだといいます。

そしてまた「キレやすさ」も低年齢化し暴力的トラブルも増えているよう。

 

対処方については現場の先生方や父母に任せることとして、私が思うことと言えば、集団の中のコミュニケーション、思いやり、そして「ごめんなさい」と「ありがとう」の二つの欠落だと考えますがね。

要は自身主導だけでなく他者の思いを汲んでみる。

そこのところの訓練不足に尽きますね。

機械相手のロールプレイングでそれは醸成できないでしょうね。生身の人間の中にいてそれらは育てられるはず。

 

「怒り」即破壊的な行為に及ぶ自暴自棄の大人が増えていることも事実。まず、大人が常に「お前はどうよ」と仏から問われている身であるということを自覚していなくては。

怒りも反発もつまるところ人の責任ではありませんね。

「自分の責」を棚の上にあげたままというのでは・・・

 

勿論、「私の事」ととして記しています。

昨日は「ついてないぜと苦笑い」のフレーズを記しましたので

ついでに「いいことばかりはありゃしない」が人生!(2つともRCサクセションから)。

ポジティブ思考も大切ですがネガティブこそまさに現実です。

そこを子供たちに教えて行かなくては・・・「夢」だとか「やればできる」の綺麗ごとばかりでは。

 

先日は今年誕生の子供たちの名づけランキングについて法話で取り上げました。

ランキングでは男の子のNO.1が「蓮」で女の子が「紬」でした。

世の中の親たちは何を思ってそれをつけるのかよくわかりませんが、一文字というのがまた流行のようです。

流行にのって他人様と同じというのも違和感ありますが。

 

特に「蓮」といえば当流坊さんの息子が生まれたとして・・・、さて、それを命名するか・・・といえば・・・「スバラシイが(当流の他のお寺さんたちの目を気にして)遠慮すべき・・・」などと思わせる文字なのですね。

 

御開祖親鸞さんの「鸞」と同様、蓮如さんを連想させますから。

また仏教を代表する華ですね。

また阿弥陀如来に同伴する観音菩薩が死者を載せる台(浄土行の特設台座)を「蓮台」というように浄土には切っても切れない文字。

それはそれはその語を名のりは素晴らしいことですしそれを命名された子供は羨ましいこと。

ただしその蓮の「徳」の数々(特に「泥中君子」・・・)についてしっかりと自覚していただけるよう親が伝えなお、そのように育てるという意気込みが必要でしょう。

まぁ私にはその文字を使う勇気はありませんでした。ただただ美しすぎる・・・

 

女の子の一番、「紬」(つむぎ)もその「蓮」に連動しているかの如くその偶然なのか「ほぉ・・・」と思わせました。

 

「経」とは釈迦の説法のことですね。

釈迦が「生きるための経糸(たていと)」を説かれそれに私どもが緯糸(よこいと)を紡いでいくわけです。

其の出来あがったものが「紬」。

「経緯」とまた人は別の意でもよく使いますが、その出来栄え・・・「人生」の方からまた「私に~『どうよ』と~解いている」と日々「思う」ことが大切なのでした。

 

また蓮糸織という言葉があります。

拙寺檀家さんですと2018年だったと思いますが奈良の當麻寺へお参りしたバス遠足で拝観した、中将姫の曼荼羅。蓮糸織りの本尊でした。

 

蓮から糸を作ってそれを紡ぎ曼荼羅を製作するなどとは気が遠くなるような労力を思ったものです。

その「蓮と紬」が今年の誕生児の名前の一番というのも偶然とはいえ、凄い取り合わせだと思った次第。

 

さて、その中将姫の誕生地が元興寺の奈良町。

その一角にその名もズバリ誕生寺なる中将姫所縁のお寺がありました。

尚、門はガッシリと締まっていて立ち入りはできませんので生垣の外側から・・・

事前予約が必要のようです。

 

①の背の高い石碑は先日記した庚申堂につづき庚申塔。猿三匹を見てあの際は、一瞬でパスしました。

 

 

 

 

 

 

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コメント: 2
  • #1

    小山昭治 (日曜日, 26 12月 2021 15:51)

    誕生寺の意味が納得しました。
    通りを歩いて何だろうなと思っていました。

  • #2

    今井一光 (日曜日, 26 12月 2021 18:30)

    ありがとうございます。
    やはりあの町を闊歩されていたのですね。
    まだまだ発見はあるはずです。