昨日の本堂は葬儀参列の皆さんでいっぱいになりましたが、ストーブは2つ用意していたものの障子戸はコロナ対策で開け広がれていて、いくら相良の冬は暖かい、風がなくて雨もやんでよかった・・・などの言葉はあってもその時間にいらした皆さんを見やればやはり酷く寒そうにしていました。
私は皆さんに「寒くてごめんなさい」の語を連発しましたが、それはこの「本堂の様」に長時間忍んでいただいた皆さんへのお詫びでした。謝っても仕方ない件ではありますが。
それにしても人間の気温の「体感」というものは結構に不思議です。
私の場合、その気温は「18℃」。
猛暑を過ごして秋に入りしばらくしたある朝、その「18℃」の数値を見て思ったことは「こりゃ寒くてかなわん」。上掛けを着こんだのが先日の事。
それから10℃近くまで低下した空気を味わった後、今度その「18℃」を迎えると、「温かい」・・・ですからね。一昨日は半袖になったほどでした。
-25℃で普段過ごしている人が-5℃を温かいと思うのと同様のことでしょうが、どれだけそのヒトの感覚というものはアホなのか・・・と思うところ。
「慣れ」「習慣」の漫然の怖さというものでそれは気温の体感に限らずかなりおかしなものです。
コロナ、思想、戦争・・・色々当てはまります。
死者の多少、正常・異常、正義・不正義、我慢忍耐かバクハツか、正常か狂気か・・・などなど。感覚は気分次第、ほとんどデタラメ。
「トラ・トラ・トラ」(真珠湾攻撃大成功!!)から80年。
関わる企画番組を視聴してそれを思いました。
さて先日記した元興寺。
奈良時代の建造物の礎石があります。
地球の歴史からすれば「ほんの先ほど」レベルなのでしょうが、私としては奈良時代ともなれば想像もできないほどの、むかしむかし・・・夢の中の如くの世界です。
上物の木造建築が朽ちようが、火災で滅失しようが、土中の礎石はその昔のありさまを伝えてくれます。
余りに小さな建造物の礎石だと、簡単に転用できてしまいますので遺りませんが。
大きな建物があったということですね。
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