雑司ヶ谷霊園は元の御鷹部屋 松が目印

雨のち風。

一晩中吹きまくった風は晴天となった朝からも夕刻過ぎまで続きました。

私は朝から境内作業でしたがトレーナーだけでなく初めてドカジャンを着込みました。暑かったら脱げばいいという感覚でしたが、お昼までの作業で、そのドカジャンは着っぱなし。

境内での挨拶は「寒いですね~」一本でした。

 

理由という理由がわからないだけに不気味なこと。

フランスは20日に「過去3週間の平均の3倍」の感染者増を伝えていましたし、ドイツも感染爆発の様。

それでいて日本の感染者の沈静化の件です。

 

敢えて言えばということで2回目接種率が76.2%の日本(22日現在)とドイツの68%との違いを指摘されているようですが・・・。

違いと言っても大した差はありませんね。

 

お気楽気分蔓延でハメを外して遊び出ようという雰囲気が溢れている日本国内ですがドイツの22日の発表だと「新型ウイルスによる過去24時間の死者は62人。新規感染者3万643人」。

「累計の死者は約10万、感染者は530万人超」との唖然。

 

国民の接種率の差「8%」によってそれほどの差が果たして出るものなのか・・・その数字の差が大きいポイントだそうですが・・・

ドイツの保健相の国民への警告・勧告の弁がまた強烈。

それが、この冬が終わるまでに国民の大半が「ワクチン接種か回復、あるいは死亡のいずれかになる」と。

ワクチン接種を、もっともっと・・・という具合に念押ししたものですが、ドイツ人らしいインパクトあるメッセージ。

そして本場クリスマスのマーケットの最大商戦か中止になって恒例の装飾なども撤去されはじめているとのこと。

 

ベルギーやオランダ政府も危機意識強く、国民に対してシバリの強いメッセージを出しますが、それを許容しない人々によって暴動が起こっている様子も画面から報じられていました。

 

それを観ていた当家奥方が「バカなの?」と吐き捨てていました。

私はその件、「人権」に対する考え方の違いであると。それをバカなんて言っちゃあいけませんよ・・・と反論。

彼らは日本人と違って一人一人がその「人間は自由であるべき」ということをしっかりした教育もそうですし個々の心中それが植え付けられているということです。

 

対新型コロナの国家的対策もありますが、ワクチンを打たない自由、マスクを着けない自由もあるわけで、それこそ第一に優先されるべきという発想ですね。

国家のために国民のために、という大義の前に、その大いなる「個人の自由」は侵害されるべきではないというものですが、一旦その自由の束縛を許せば国というものが今後どのようにその鎖を伸ばしていくかわかりませんからね。

 

日本人はどうか・・・そもそもマスク装着について違和感無く受け入れられるというその土壌の違いもありますし、一旦右に倣えとなれば従順に同じことができて、また他者と違うということについつい違和感を抱くという国民性。まぁ今後感染爆発が再び起きないとは限りません。いや起きるのでしょうね・・・

 

個性の発揮についてはこの国は昔から往々に「鼻つまみ者」と白い目で見られたものです。為政者側でも田沼意次などもその手のやっかみを受けたものです。

 

よって個々のチンケなオレオレ詐欺等、弱者への騙し犯罪行為はあっても集団での暴動・デモの類は起きなくなっています。

そういう意味では、一揆に打ちこわしなどの民衆暴動があった江戸期の庶民の反発精神とバイタリティと現代人のそれとは全然違いましたね。

 

最近は全国民中流化によって為政者への不満に反発はうまいこと吸収されていますしもともと自由や人権については案外疎いというのが日本人なのでした。

 

さて、先日は「女墓場」の縁者の葬儀が雑司ヶ谷界隈であったそうです。

ついでにその辺りをブラついたということである墓塔を以前私のリクエストしたような撮影方法で多くの枚数を送ってきました。有難いことです。

ただし私は「墓石なら何でもイイ」というワケではありませんのでそれについては趣向が違うこともあって不採用です。

 

ということでその地の近くにあった御鷹部屋御方屋敷と御鷹部屋について。

現在の「雑司ヶ谷霊園」にその御鷹部屋なる公の施設があったのでした。

将軍家は家康以来、鷹狩は趣味と実益、当たり前のように各将軍が力を入れています。

この界隈は位置的には池袋の手前といった場所ですが当時と言えば丘、谷の起伏に森林が連なって鷹狩には絶好のロケーションだったことでしょう。

 

屋敷には将軍の接待休憩所があって鷹はその御鷹部屋で養われていたということですね。勿論鷹匠も。

当時の鷹匠といえば将軍に直接関わることができる立場かつ特殊技能。かなりの高給取りだったことでしょうね。