山中城の間宮康俊の娘お久 華陽院

都合よく晴れ間がいつまで続くのかわかりませんが朝から気合を入れて穴堀り。

舗装路の下で漏水している水屋の水道管。舗装路の元栓に近い側の水道管探索作業です。

朝から昼食抜きで途中から奥方のヘルプが入って二人工の作業。

気温は上昇、東京から2年ぶりにお参りに来られた檀家さんはガッチリ厚着のジャンバーでまさに真冬の出で立ち。

私の半袖、シャツ1枚の姿を見てあらためて相良の暖かさと東京の気温差を味わったでしょう。

 

まぁスコップを振り回していてそれ以外の恰好はできません。

あの辺りは敷石が車の重量で圧締まっていますので穴掘りは難儀します。

蚊も大いに健在で蚊取線香を脇に置いての仕事となりました。

水道管探しの苦難はまさに漏水との闘い。

結局は「怪しい」(配管箇所)と思う所を掘りまくっていたら想定できる場所を全て掘ってしまいました。

それでいて未だ入り側の配管は見つけることができていません。それは水が溢れ出で目視ができないからです。

最初のうちは掘ても1時間もすれば水が溜まってしまいます。

 

昼前に奥方が、「出口側の配管を見つければその方向はある程度確信できるはず」と水屋の脇を掘り始めてスグ塩ビパイプを発見。当初私が掘り返した場所とは違う場所でした。

方向をさらに知るためにそのまま追跡してもらいましたが上に大きな庭石があってそれ以上の探索は諦めました。

まぁこれで水屋の水道管と蛇口は生かすことがでま

そのパイプにバイパスを繋げればいいということで。

次はバケツに予め水を確保し元栓を閉めてから作業を進めることにします。

 

水道管直下の配管の様子はごく浅めですが徐々に深く埋設されているようです。もう少し深堀りしなくてはならないでしょうね。

 

15時30分に昼食をさらっと、一昨日いただいた富士宮焼きそばを。その後パタンと倒れるように夫婦で昼寝。

奥方も「再起不能」と夕ご飯も冷や飯に昨日頂戴したシラスをかけた「シラスご飯」。

冷や飯お茶碗半分の上にタップリとシラスを「重堆積」させての贅沢御馳走。

これは奥方の手抜きではなく、私が所望したものです。

冷や飯こそシラスに絶妙に合います。

 

画像は昨日ブログのコメント、お祭り大好きさんからご指摘をいただいた華陽院の図。

コメントに気づいたのはシラスご飯のあとでした。

小田原城の出城、山中城で討死した間宮康俊の娘のお久の墓に

なります。

 

家康は娘の督姫を北条氏直に入れた関係で、秀吉の小田原攻め(婿殿の城攻めです)には気乗りがしなかったはず。

仲介和解工作にも奔走したでしょうが、それは結局は徒労に終わりました。

家康の銘家好きというところもありますが、北条家を見捨ててしまった懺悔の意もあったかも。

まぁ秀吉がかわいがった一柳を討った北条家臣団の間宮家については一目を置いていたのでしょうね。

その娘お久を側室の一人に迎えたわけです。

 

当初は墓石は五輪塔形式だったようですが、崩落したようで慶応年間に間宮家が再建したとのこと。

この墓石も苔と摩滅が激しくて判読はなかなか難しいものがありますから史料から転記。

 

「普照院殿光譽智相宗薫大禪定尼」

 

「元和三巳年二月十七日逝去/五輪塔法號某自然及破壊故慶應元丑五月再建之 間宮大膳謹誌」

 

墓石の崩壊は人為的のものが殆どですが(おそらく平成輔の墓はそれ)地震による欠損そして純然なる自然崩壊もありますね。

石材は産出場所が同じであっても、良し悪しがあって中にはアイスクリームが溶けるように摩滅してしまうものがあります。

それは時間が経ってみないとわからない。