時宗 當麻山無量光寺の名号光る梵鐘と一遍像

今年の拙寺「報恩講」はおかげさまで無事終了。

あとは大晦日の除夕鐘にて今年は御終い。

報恩講は恒例となった寺楽市が中止されたことから、盛り上がりに欠けた(参拝者の減少も)感が残りましたが、まぁ次の春の法要は境内を賑やかにできたらと思います。

 

テーマは最近殊に思うようになった「この冬何とか無事に」というところ、暖かい春を迎えたいものです。

冬期の寒暖差は血管を使い込んでいる齢を数える者にとっては脅威ですからね。

 

しかし、温暖な当地にあってはその心配事について「甘い!!」と𠮟られそうです。

何せこの報恩講の季節といえば直近私の知っている当地のそれについて激変していることは身をもって確信しているところです。

 

私の承知している報恩講といえば北西の風(遠州の空っ風)がびゅーぴゅ吹いて障子や雨戸をガタガタと鳴らすその耳からくるイメージ。

朝の空気など下手をすれば氷が張るほどに引き締まって、息は真っ白、暖房器具のない本堂に数分いるだけで凍え死ぬような思いがしたものです。

 

昨日は天気予報の「晴れ」は外れ。

早朝には小雨が降り、一日中曇天が続いていましたが以前のような季節感(極寒)は全くなし。

あまりにも好天が続いて気温が高めだったことから皆さんの会話の中に「今日は寒いね」がありましたが以前の11月とはまさに「雲泥の差」。

「血管に優しくなった」とことは確かに言えますが、「地球が壊れつつある」ということに気づいていないというのも浅ましい。

地球がぶっ壊れていることを受け入れて、温暖な季節が続くことを喜び、未来永劫にわが身の楽と延命を気にするお粗末は反省すべき態度でした。

しかし日曜日は暖かくなって2℃アップとのこと。数日前の予報では雨マークがありました。

 

さて、拙寺の梵鐘ではありませんが、昨日の當麻山無量光寺のものを。

何故か鐘楼にはありませんでしたが、その分観察はしやすい。

古い代物ではありませんが、私は六字の名号というだけで引き寄せられます。一遍さんの名がありました。